樹欲静而風不止、円安と移住で考える「静」と「動」の関係

 1ドル140円――WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)が一昨日(11月18日付)の報道で、来年2015年末の円相場の見通しを従来の1ドル=120円から140円に修正した。

 ここまでくると、一大ブームになっているマレーシアなどへの海外移住の流れに少しずつ変化が生じるだろう。長期的にいわゆる円安傾向が定着すると、正直マレーシアや東南アジアよりも日本の田舎が暮らしやすくなるかもしれない。単に年金に頼った老後の生活では、マレーシアが果たしていつまでベストチョイスになるのか。

 これはドル円相場の目線である。ここまでいって、じゃ、海外移住を諦めて日本の田舎に住もうと短絡に結論付けできるかというと、必ずしもそうではない。日本経済の悪化、全体的ファンダメンタルズを見て日本の将来と自分の人生に関連付けをしていかなくてはならない。円安の流れ自体が日本経済の鏡の一つでもあるからだ。

 「移住」という重苦しいイメージから脱出し、もう少し柔軟に解釈し、多重の意味を持たせる時代がやってきた。遊牧民族にとって、人生そのものが「移住」である――「移動して住む」のではなく「移動しながら住む」ということである。

 「静」と「動」の関係で、日本人は一般的に、「住」を「静」として考えている。「移住」は一大事業で、ある状態の「静」が崩壊しかけ、やむを得ず、「動」をもって次なる「静」を求める。

 「樹欲静而風不止」。中国の古典である――「樹静かならんと欲すれども風止まず」。これがまさに現今の世界である。激動の外部環境に対し、静止安定をべーつとした思考回路が一種の自殺行為とも考えられる。たとえば、ドル円相場そのものも「動」の好例である。この「動」によって、求めようとする次なる「静」が左右され、それがネガティブ判断が出た時、現在の「静」にとどまるという行動は、「静」の延長になり、結果的に「動」の従属者、いや敗者にほかならない。

 ドル円相場とにらめっこし一喜一憂してどうするの。1ドル80円に上がっても、140円に落ちてもわが人生は不動なるものだ。ここまで雄志を持とうではないか。そのために、「動」、流動性を進んで受け入れる必要がある。いや、正確に言うと「動」を先取りして更なる「動」で制す。これしかない。