サラリーマン時代の私、会社にいろんな不満があった。しかも、それを口にして批判し続けた。時には上司を飛び越え、さらに上司の上司を飛び越えて会社のトップにまで直訴もした。上司頭越しの訴求はサラリーマンにとって無論、致命的だった。ある上司が親身になって私にこう言った。
「会社を変える、自分を変える、文句を言い続ける。という三択があります。それを選ぶのがあなたの自由です」
私は会社を変える力がないことを自覚し、文句を言い続けるのも馬鹿馬鹿しくなり、そこで会社を辞め、自分を変えることにした。でも、正直言って私は自分を変えたくなかった。自分が正義だと思っていたからだ。正義は人によっていろいろある。自分が常に正義だ。自分の思う通りに行かないとそれが不正義だと思って憤りを覚え、批判や抵抗を始める。だが、世の中は常に「正義」が通るわけではない。
とはいっても、自己改革に取り組みつつも、世の不公平に納得しなかった。その自己改革はいかにも嫌々で悲壮感に満ちるものだった。
その後十数年経って、私は経営コンサルタントになり、いろんな企業の経営に口出しできるようになり、いろんな企業を変えることもできるようになった。気がつくと、「会社を変える」ことってできるのではないかと。そこで私のコンサルのもとで顧客企業が取った進路にその組織の幹部や従業員が納得せず、批判する人も現れる。その人たちへの説得作業に私が当たるたびに、以前上司に言われたことを思い出し、そのまま口にする。
「会社を変える、自分を変える、文句を言い続ける。という三択があります。それを選ぶのがあなたの自由です」
外部環境を変えようと思ったとき、自分を先に変えたほうが手っ取り早いし、実現の可能性もはるかに高い。どちらも変えられずに文句を言い続けることは精神衛生上よくない。たまに愚痴をこぼし何かしら八つ当たりする、そういう「ガス抜き」は健全だが、それが常習化すると決して自分にもよくない、と私が思う。
しばらく前のニュースで、報道ステーションと古賀さんのトラブルがありましたよね。
あのとき古賀さんが、ガンジーの言葉を引用しました。
「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく世界によって自分が変えられないようにするためである」。
たとえ何も変えられなかったとしても、言い続けることにも価値あると信じている人もいます。私もそう思います。
ガンジーは「世界を変える」「社会を変える」という確固たる信念のもとで、公益のために「言い続ける」。行動を伴う批判をする。ネットや居酒屋で愚痴だけをこぼす「ガス抜き」とは本質的な違いがある。いや、ガンジーになったつもりでもいいと思います。そこで外部変革の第一歩、第二歩を踏み出せば良い。古賀さんは分かりませんが、本平さんはガンジーの言葉に賛同されていることは大変素晴らしいことです。ぜひ、社会運動でも何でも不正義を排除するよう立派な行動を起こしましょう。私はとてもそれに及びません。そんな本平さんを尊敬します。「世界を変えることを信念とする自分を絶対変えない、そのために言い続ける」。それは素晴らしい。本当に素晴らしい。
このような稚拙なコメントを書き込むのは恐縮ですが・・・
子供の頃から母に
「批判や文句、愚痴をこぼすのは時間の無駄、能力のない者の証拠。 相手を変える努力をするか自分を変える決断を取るか、その両方の努力を同時に行うか2つに1つしか方法はない。 ぐずぐずせずに 問題を直視して解決策を探し思った通りに実行しなさい」と言われてきました。
企業や社会、と言った大きな事柄ではありませんが、結婚についても、もしパートナーに対して不満があるのなら対策を考えて自分を変える(これは例え話ですが 、主人の収入に不満があれば自分で稼ぐ、収入内でやりくりする等)、又は相手を変える(例えば昇給・出世に繋がるような全面的なサポートをする、極端な場合には離婚する等。 他にも、自己分析を冷静に行って相手に何を求めているのかコミュニケーションを取る等)です。
立花さんは「文句を言い続けること」も選択肢として提示していましたが、これまでわたくしが実行してきた選択肢は(企業に勤めていた時も)2つに1つ、又は両方同時に行う事、以外にはありません。
「同じ文句を言い続ける」のは 自分で『改善案』を提案する能力がない者が一番楽で、しかも自己満足できる無意味な選択肢でしかないと思っております。
生意気な事書いてごめんなさい。
先週の金曜日、MPOにて立花さんをお見掛けしたような気がするのですが・・・ご本人だったのでしょうか? プライベートな事を書いてしまってまずかったでしょうか。
お母様のおっしゃるとおりです。批判や文句ばっかりでは時間の無駄だし、能力欠如の証拠でもあります。一人の相手や一つの会社・組織ないし社会、原理は同じですね。「文句を言い続ける」人が実際に多いので、一応一つの選択肢(非建設的だが)として提示しました。
そうです。先週金曜日は、家内と一緒にMPOベートーヴェン9番に行きました。次回、ぜひ声をかけてください。