和僑VS華僑、どこが違うのか?

 「和僑会」。先日ある日本人の飲み会でその話が出たが、それを全然知らないという日本人駐在員がいた。「和僑会」のことを知らない、付き合いも接触もあまりない、無関係と思っている日本人駐在員が確かに多い。

 その理由は、海外在住の意思の如何にある。駐在員は本人の意思によらず、社命によって海外に赴任しているのに対し、いわゆる「和僑」は基本的に自分の意思によって海外に行き、起業しまたは現地採用で仕事をする。

 「和僑」というのはそもそも、「華僑」に因んで作られた言葉だ。しかし、「華僑」と「和僑」の本質的な相違に気付いているのだろうか。

 まずは、哲学の相違~「根っこの持ち方」と「退路の持ち方」

 「華僑」のほとんどが歴史的、政治的に本国から半分追い出される形で故郷を捨てて海外へと向かったのだった。中国語で「背井離郷」と「落地生根」という二つの言葉がある。「遥か故郷に背を向けて遠く離れ、異国の地に渡り、その地に同化し、子孫を作り、その地の土に帰る」という人生観と死生観があって壮絶感が漂い、いわゆる根こそぎの海外移住であった。

 「和僑」の多くは起業目的であって、歴史的にも華僑一代目のような壮絶物語を持ちえない。海外でうまくいかなかったら日本に帰れば良い。現に昨今中国市場の衰退で中国からあっ気なく引き上げる日本人企業家も多かろう。それはまさに退路があってこその引き上げであろう。「中国に骨を埋めるつもりでの出陣」とはいえ、結局「根っこ」や「退路」がちゃんと日本に残されているのではないか。

 次に、戦略の相違~移住先国現地の経済や政治への食い込み

 「華僑」は移住先の国々では個別の起業にとどまらず、その国の経済ないし政治にまで食い込んでいく。東南アジアにおける華僑系の財閥をはじめ、産業全体への浸透から金融の掌握まで戦略的なアプローチはそう簡単に真似できない。その辺の団結力は、日本人の「ムラ的」な団結力とはまったく異次元のものである。

 さらに政治面においても実力をどんどん手中に納める。華商総会などの華僑団体が大きな票田を形成し、政治へのロビー活動は日常的に行われる。上を見れば、タイのタクシン元首相やその妹であるインラック元首相、コラソン・アキノ元フィリピン大統領、ミャンマーのネ・ウィン元首相、テイン・セイン大統領といった首脳陣はみな華僑の血を引いている。

 その壮大なスケールに到底及ばない「和僑」勢は、歴史的後発という劣位性に直面しつつも、どのような戦略を取るか、まず見定めなければならないだろうが、その辺は残念ながら何も見えていない。個別の起業成功事例の学習も大切だが、それ以前の課題で、「和僑」という概念において戦略的な俯瞰がなされていない。

 最後に、思考の相違~「性善説」と「性悪説」

 華僑コミュニティーは一見「信用」や「信頼」で固められているように見えても、その「信頼」は、裏切り行為に対する周到なリスク管理と罰則によって裏打ちされ、つまりは「性善説」は「性悪説」を基礎や基盤としているのである。しかし残念ながら、多くの「和僑」はいまだに防御なき性善説の世界から脱出できずにいる。
 
 このような本質的な相違を乗り越えなければ、「和僑」から世界に知られる大物企業家や政治家が生まれることは絶望的である。

<次回>

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コメント: 和僑VS華僑、どこが違うのか?

  1. 仰るとおりです。

    香港和僑会のメンバーですが、私の会社が危機なので相談したらバンザイして香港を去れと言われてしまい、戸惑いというかびっくりしてしまいました。お陰で全く違う発想が出来るようになったので感謝しておりますが。

    1. 石井さん、そのおかげで石井さんのサバイバル、生きる力が逆に強化されたのですね。その力がどんどん強くなっていくでしょうし、他人の助けを求めなくても済むようになり、さらに他人を助ける力まで身についていくのでしょう。素晴らしいです。和僑よりも、人間の生きる力ほど貴重な宝はほかにありません。

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