「日本国紀」読中感、「魚」と「漁」読書スタイル色々

 連休を使って読書中。

 ベストセラーたるものにアレルギー持ちの私は、まずは平積みされる書籍には手を出さない。「日本国紀」も然り。読むよりも、鳴り物入りの大宣伝をしたこの本の正体を知りたい、という好奇心が先行してしまっている。そこで、チャンス到来。先日、日本出張帰りの友人から「これ、買って読みましたので、どうぞ」と1冊を与えられた。有難い。

 基本的に安い文庫本しか買わない(例外もあるが)私だが、立派なハードカバーに触れながら喜んだ。いざ読み始めると、途中までだから総括的なことはいえないが、教科書だなという印象は払拭できない。

 通史といってもこれだけのボリュームを1冊にまとめるのが無理だ。所々展開したり掘り下げたりする余裕はまったくない。貴重なネタでも数十文字で飛ばされてしまうのがもったいなすぎる。それに、著者が「世界に類を見ない日本人の○○」という讃辞を随所散りばめた書き方にも違和感を抱く。

 讃辞はいいが、それは濃厚なコンテンツと高い説得力をもって読者に言わせるものである。ただ物理的に紙幅のせいもあってそれが無理なのである。百田氏のせいではないと思う。そもそもこの本の出版の商業目的を考えれば、「この1冊ですべて分かる」というニーズをもつ(自認)保守系大衆がターゲットである以上、この体裁にならざるを得ないだろう。

 私はやはり塩野七生氏の歴史本が好き。ローマ史や地中海史というカテゴリーで数十冊という膨大な量を書いたが、それでもごく一部の人物や事件しか取り上げていない。氏の著作の中には、歴史人物は一人ひとりが血肉をもった生身の人間として出てくる。善悪の評を抜きにして社会や政治の本質をえぐり出すよりも、読者に悟らせる。というところはやはり凄い。

 言ってみれば、歴史は歴史のままにとどまらず、本質や哲理の抽出により、現代にも通用する価値を見出すための素材や可能性を読者に与え続ける。著者はその価値の有無や多寡、生かし方を一切決めつけずに、読者に展開の空間と余地を残した。

 百田氏の「日本国紀」が「魚」だとすれば、塩野氏の歴史本は「漁」である。魚の美味を味わいたいのか、それとも漁を学びたいのか、それは読者次第。良し悪しはない。

<次回>

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