銀婚式を迎える、結婚生活25年と三大ピンチ

 今日は、銀婚式を迎える日。結婚25周年記念日。

 1990年7月24日、オーストラリア・シドニー郊外のハンターバレー記念教会で2人だけの結婚式。2人だけの結婚式など聞こえはよいが、たた披露宴を開く金がなかったからだけであった。貧乏のどん底の学生結婚であった。

 それからの25年間、就職、脱サラ・起業、事業失敗という人生三大ピンチに遭遇する。

 いざ大学卒業となると単位不足が発覚して3度の留年。情けない。親に勧められ好きでもない理系に進んだ結果、勉強にまったく興味が湧かず、アルバイトに精を出す。そのツケが回ってくる。結果的に、起業してから自分が好きな法律や経営を勉強したくて、良い年してキャンパスに逆戻りすることになる。

 ようやく就職して海外駐在までは良かったが、東京に帰任すると上司の管理方針に異を唱え、いよいよ会社を辞めることになる。いまになって「脱サラ」や「起業」と聞こえのいいことをいうが、正直事業計画らしきものはいっさいなく、酔った勢いで「そんな会社辞めてやるぞ」というような無謀な愚行であった。

 さらに、三度目のピンチ。幸運にもコンサル事業が軌道に乗ったと思いきや、気が大きくなって趣味の世界に突っ込み、上海で外食事業に手を出す。食べるのが専門でも作るのが素人。そんな自覚を持たずにふたを開けてみると惨敗。ほとんど全財産を失い、裸一貫に逆戻る。

 こんな人生にさんざん25年も付き合ってくれた妻は偉大だと思う。文句一つない。黙々と、支えてくれた。ありがとう。本当にありがとう、25年。