テロと戦争、価値観共有と連帯同盟が新たな陣営分け

 パリで起きたテロリストによる大虐殺。各メディアがそろって「同時多発テロ事件」と報じているが、現場の状況はまさに「戦場」。であれば、あれは「戦争」ではないか。

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 テロが政治的目的(革命)の達成のために使われる暴力手段であるのに対し、戦争は内政・外交問題の武力解決であり、国家による政治手段である。

 テロが国家樹立を目指して暴力を使い、一旦国家が形成されればその暴力が戦争という形に変わる。テロだろうと戦争だろうと、人為的あるいは法的に分類しても、虐殺現場そのものは何ら差別もない。尊い命が次から次へと奪われている。

 忘れてならないのは、ISがすでに国家を宣言していることである。彼たちはテロ活動を戦争と定義している。2014年9月、ローマ法王フランシスコはミサの中で、欧州全土から訪れた数万人の巡礼者たちに向けて、世界は第三次大戦の状態にあると明言した。さらに、911アメリカ同時多発テロ事件後に定着した「対テロ戦争」の定義それ自体が何よりの証明である。

 パリ大虐殺はこの意味においても、戦争である。この戦争は明確な対戦国も存在しなければ、特定の戦闘地域も定まっていない。もちろん戦いのルールも何もない。

 いまここで、フランスに連帯を表明した国々はもちろんのこと、そして、Facebookのプロフィール写真をフランス国旗のトリコロールカラーに染めて連帯を表明した我々一人ひとりが次の犠牲者になるのかもしれない。連帯とは、ただの同情や憐憫だけではないはずだ。共にリスクを取り、共に戦い、場合によって犠牲をも受け入れる準備ができていると、このような固い意思の表明である。

 戦争はすでに始まった。新しい戦争には国境が存在しない。個別自衛権も集団的自衛権もない。イデオロギーや価値観の対立から生まれた戦争は地球上に生きるすべての人を巻き込む可能性を孕んでいる。新しい戦争の陣営分けは、価値観の共有と連帯によって結ばれる同盟であろう。

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