写真館と病院の屁理屈、自家製証明写真からの連想

 証明写真がない。

 明後日はベトナム出張。今回は労働・居住資格にあたるレジデンスカードの取得が主目的。そこで、通常の入国ではなく、事前に取得しておいた労働目的の入国許可レターをもって、到着時の空港ビザ事務所でビザ発給を受ける。そこで証明写真が必要だ。しかも通常のパスポートサイズではなく、なぜか4x6cmという巨大証明写真が必要だという。

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 写真撮影のためにわざわざショッピングセンターの写真屋に出向くのもバカバカしい。往復の時間や駐車料金もかかるし。そこで自宅撮影に踏み切った。白い壁を背景に普通のカメラで撮影して、カラープリンターを使って写真用紙にプリントし、そして所定サイズにカットする。いやいや、何とかできるものだ。

 世の中、本当に便利になった。でも便利になった代わりにいろんな商売が奪われてしまった。たとえば証明写真も好例。昔のフィルム時代に日本で証明写真を写真館で撮ってもらうと、ネガフィルムを渡してもらえなかった。店が保管している限り、焼き増しの商売が継続的に入るわけだ。

 考えると、お金を払って撮った写真なのだから、ネガの所有権は客にあるはずだ。以降どこで焼き増ししようが客の自由ではないか。そういう屁理屈はなぜ日本で通っていたのだろうか。

 写真といえば、レントゲンやCTスキャンといった診断写真、そしてカルテも含めてこれも日本の病院はなかなか素直に患者に渡してくれない。検診費を払った患者は、当然検診結果に対する所有権を持つわけだろう。開示料を求める病院もいたりして、何で開示に費用がかかるのか。だったらこっちがUSBを持ちこんでダウンロードしようではないか。いやそれもできません。なんでできないかと問い詰めても、「ルールですから」との一言。

 日本では、「ルール」ほど強いものはない。ルールを守るのが善、ルールを破るのが悪という善悪観がとことん濫用、悪用されていないか。いろんな理由を付けてはカルテや診察データを患者に渡さないのは、データの他院への持ち込みへの妨害以外考えられない。医療産業だって市場競争の荒波から洗礼を受けている以上、不当な競争妨害行為はいずれ時代の変遷によって葬り去られるだろう。