変質偽装民主主義施された独裁のリスク、ミャンマーの行方占う

 昨日、ミャンマーのことやスーチー氏のことを書いた。大変重要なことを補足する。

 ミャンマーと言えば、民主主義のスーチー氏対独裁政権の軍という「善・悪対立」の構図を想起するが、いまはこの「常識」に大きな異変が生じ、この構図は崩れつつあり、あるいは逆転現象さえが起きようとしている。

 まず、「軍=独裁」「軍対民主勢力の戦い」という既成概念を取り払う必要がある。逆に、スーチー氏がこの「軍=独裁」という世間一般的な既成概念を悪用して新たな独裁を作り上げる、このようなリスクがすでに現に生々しく現出しているのだ。

 もし、この新たな独裁が生まれた場合、むしろ、軍の独裁よりさらに悪質になろう。それは、独裁の悪名レッテルを貼られた軍ではなく、民主主義の闘士として世界に認知された人物が操るだけに、より巧妙で隠蔽的、明らかになるまで、時間と多大なコストや犠牲を要するのであろう。これがいまのミャンマーだ。

 むしろ、これからある意味で、将来的にスーチー氏の独裁をけん制する役割を、軍が引き受けるというパラドックス(逆説的現象)も起り得るであろう。いや、それが不可避なのかもしれない。最悪のシナリオは、軍がスーチー氏に懐柔され、買収され、取り込まれた場合である。そうなれば、ミャンマーは、史上最悪の独裁時代に陥ってしまう。

 変質した民主主義の偽装を施された独裁は、本物の独裁より数倍も数十倍も悪質であろう。

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コメント: 変質偽装民主主義施された独裁のリスク、ミャンマーの行方占う

  1. なるほど、現在の銃口の下の民主政治のほうが、スーチー政権で行われるかもしれない独裁政治よりもマシかもしれないとおっしゃるのですね。

    具体的にはトルコのように、軍事政権から離れることによって却って強力な独裁的な政権が生まれ、政教分離から祭政一致へ逆戻りするような別の弊害が生まれる可能性は確かにあると思います。

    それを言うと、中国のような一党独裁政権もまた銃口のもとに平和を維持しているという点では、評価されるべきですね。

    混乱や独裁の可能性を受け入れて、民主への道を進むのか、現在の安定を重視して銃口の下で暮らすことを選ぶのか。民主化に失敗して混乱を招いたら、またもや中国共産党の言い分が正当化されることになりそうです。

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