中国経済奇跡の終焉?ソロスいわくあとせいぜい1~2年

 先々週、ニューヨークのアジア・ソサエティーが「中国経済奇跡の終焉?」と題したフォーラムを主催した。「?」がついているだけに肯定も否定もなく仮説状態ではあるが、ただ命題の提出それ自体が一種の強烈なメッセージを発している。

 何よりも、ジョージ・ソロス氏の発言は明快だった。いわく中国金融危機の発生は、時間の問題に過ぎない。今いろいろいじくってもせいぜい1~2年先に遅らせるだけの話だ。

 3月の信用緩和で中国景気の持ち直しだとすぐに一部楽観論が噴出したが、ソロス氏は、「これは回復のシグナルではなく、警告のシグナルだ」と指摘する。景気下降が止まらないから、信用を膨らませてブレーキをかけなくてはならなかったからだ。

 中国の銀行は概ね債務が預金を上回っている。その先はクレジットクランチよりもやはり、キャピタルクランチ(資本不足に起因する金融閉塞)。金がないから貸せないわけだ。怪しい流動性がいつまでも続かないだろう。時間の問題だ。

 中国国内の消費がまだ好調だという人もいるだろうが、構造的部分に目を向けてほしい。中国のGDP構成比率は、他国と比べてかなりイビツな形になっている。民間部門の個人消費が占める割合が非常に少ない。日本やアメリカでは6~7割にも達する個人消費が、中国では3割強しかない。中間層が薄く、富裕層の消費増だけで短中期的に1~2割を引き上げるための要素が見えない。

 そもそも論になるが、中国経済は果たして「奇跡」と言えるのか。世の中、必然的帰結には人間がなかなか対抗できないものだ。

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コメント: 中国経済奇跡の終焉?ソロスいわくあとせいぜい1~2年

  1. 経済が好調かどうか。確かに投資家や経済学者や経営者、そして立花先生のような高い立場の方から見れば、好調ではないんだと思います。それを否定するつもりはありません。

    ただ、都市に住む一庶民として見ると、好調かどうかはともかく、そんなに悪いように見えない。そういう人が多いと思います。中国に長く住んでいる人ほどそういう思いが強いのではないでしょうか。

    なぜか。10数年前には、月給数百元の人たちばかりだったのが、今では数千元の人が当たり前の状況です。物価は上がりましたが、給与ほどには上がっていません。何より、着ている服が違います。安っぽい人形が着るような服しか着ていなかった工員たちが今着ているものは、もう日本人が着るものと遜色がありません。

    手ふり(手を振ると止まる)バスから大型バスへ。そして地下鉄。小売部からコンビニ。スーパー。

    パソコン、ノートブック、携帯電話、IPHONE。

    日本が4,50年もかけて辿った道を10数年で駆け上ってきた様子を私たちは見ています。

    で、経済崩壊して、何が変わるのかと。日本のバブル崩壊は確かにひどかった。瞬く間に就職口がなくなり、就職氷河期、フリータの増加、失われた20年、格差社会。これは経済学者に言われなくても、一般庶民にとっても、身近に感じられた崩壊だったと言い切れます。

    ところが、中国では、崩壊、崩壊と言われながら、庶民にとっての崩壊はまだ感じられません。むしろ、生活が多種多様化して、豊かになっていっています。もう、日々、サービスが増え、商品の種類も増え、楽しみも増え、便利になっていっています。

    立花先生が崩壊を言い出して、もう3年になりますでしょうか。ソロスがあと1~2年ですね。心配ではありますが、中国の庶民が感じ取れるほどの崩壊が来るのはまだまだ先のことであるように思えます。

    いや、敢えて言えば、あと2年ぐらいの短い期間で、この繁栄のカラーが消えるとしたら、むしろびっくりです。庶民の視点や生活感からすればですが。

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