9月7日(水)、上海市で開催される「2016中国労働法フォーラム」に出席。満席の盛会だった。
今年のメイン主題は、「Flexible Employment(柔軟雇用)」である。直言すれば、「非正規雇用」。私は自分のブログでも記してきたように、正社員主流の時代はいずれ歴史となる。数年以内に、非正規雇用が労使関係の主流となる。
非正規雇用は、労働者に雇用の安定性が欠如し、すくなくとも日本や中国ではあまり善として考えられていない。思うには、善悪の次元ではなく、それが避けられない趨勢であり、一種の現象である。
労働者の雇用安定、聞こえは良いが、果たしてそうなのか。雇用総量に限りがあって、1人の労働者が労働者の地位につく限り、もう1人の人間が労働者にすらなれない。
Aさんが某社の従業員ではあるが、Aさんよりも優秀なBさんが求職中である。そこで、Aさんを解雇してBさんを採用したほうが、経済性においても社会的価値利用の公平性においても、合理的である。しかし、硬直化した雇用関係の下ではそれが実現できない。
だから、柔軟雇用。
雇用関係が柔軟であって、流動性が注入されれば、Aさんは危機感をもって頑張るようになる。そこで、Bさんを上回る優越性をもつようになれば、解雇する必要もなくなる。
労働者にとって「安定」は存在し得なくなる時代だ。「安定」がなければ、「安心」もなくなる。繰り返しているように、善悪よりも趨勢と現象である。
正規雇用は、近い将来に一部のコア社員に限られる雇用形態となる。しかも、厳しい成果考課要件を課され、正規雇用それ自体も大きな流動性が付与されるようになる。
このような不安定な時代だからこそ、多くの機会が生み出される一面もある。ポジティブ思考・ロジカルシンキング、建設的な提案、独自性、タレント性、創造性・・・。今後の世界で生き延び、成長し、受益する人間の内在的リソース要件である。
裏返せば、他力本願の金太郎飴型人間の受難の時代でもある。