フィリピン人メイドの部屋のエアコンが壊れた。相当老朽化して修理よりも買い換えたほうがいいとメンテナンス業者に言われ、さっそく大家さんにエアコン交換の依頼をする。すると、大家さんが不審に思ったらしい。
「どこの部屋のエアコン?」
「メイド部屋」
「えっ、メイド部屋にエアコン付いてませんけど」
「いいえ、付いてます」
「付いてません」・・・。
結局、写真を撮って送ったら、それはゲストルームじゃないかと。そうだった。家の建築図面と所定機能では、確かにそのとおりだった。メイド部屋とは、台所に隣接し、窓もエアコンもついていない倉庫のような小部屋だった。それは過酷すぎるから、うちでは裏庭に面したゲストルームをメイドに割り当てたのだった。
立花家のメイド部屋
メイドなんかにゲストルームに住ませ、エアコンを使わせるなど、マレーシアではいささか非常識らしい。歴然とした上下関係ないし階級の意識はこの国では根強い。主と従の関係をいたるところに明示しているのである。
これは日本人にとても馴染めないところだ。そのため、多くの日本人がメイド、特に住み込みメイドを使いこなせていない。日本社会では可視的な上下関係がなくなって久しい。たとえ家政婦といえども、派遣業の一種として扱われているだけに、上下関係を意識させないように諸種の工夫が施されている。
海外は違う。ここマレーシアをはじめ、そうした「歴然とした上下関係」の存在と是認によって社会秩序の基盤が成立している以上、善悪という倫理価値の判断を差し挟む余地がない。私もこれを受け入れている。
一方では、自分は人事のプロである以上、人を使うことに関して自分なりの原理原則があって、無論メイドとの「上下関係」や「主従関係」においても体現させているつもりだ。ただ衣食住という3点において差別的な処遇は一切行わない。たとえば、食事の内容は同じだが、同じ食卓に座らせることは絶対にない・・・など。
上下や主従の関係と差別とは別概念である。無差別ないわゆる平等は墓穴を掘るに等しい。メイドにやられる事案も多数ある。日本人は優しいからカモにされる。メリハリをつけないとダメなのだ。
仕事についての査定は厳しい。賞罰のいずれも可視的かつ可感的に行っている。とはいっても、彼女がうちへ来て当初の1年には「罰」が「賞」よりもはるかに多かったが、4年も経過すると、「罰」はほとんどなく、「賞」だけになった。その分、生活条件の改善も当然「賞」の一環として取り入れられている。
汗だくで働く彼女にはせいぜい自室で快適に過ごしてもらいたい。エアコン交換だ。