微笑み続けられるか、「ブレーキ問題」でタイの先行きに暗雲

 タイのプミポン国王陛下のご崩御の一報に接したとき、私はふと、ブレーキを失った車を連想してしまう。

 まず冒頭から言わなくてはいけないのは、タイの「王室不敬罪」である。タイ刑法第112条によれば、国王、王妃だけでなく、王位継承者あるいは摂政に対しての不敬言行も対象とされているので、コンプライアンス上、私はここで王室に対するコメントを差し控えなければならない。なので、議論は若干飛躍する。

 タイは民主主義国家といえども、1932年以降12回ものクーデターがあった国である。果たして民主主義国家といえるのかとすら思えてしまうが、民主主義だからこそのクーデターというパラドックス的な仮説もあろう。

 車の暴走抑止には、ブレーキが必要だ。そのブレーキが故障したり、喪失した場合、アクセルを踏む人もいれば、「いや方向が違う」とハンドルを切る人もいるという状況を想像するだけで鳥肌が立つ。

 そこで、第2のブレーキが必要になる。皮肉なことに、その第2のブレーキを軍政が引き受ける形になってくると、状況が一変する。大きな、大きなジレンマが生じる。軍政を維持するか、民政に移行するかである。国家の短中期的な安定を考えれば、むしろ現状の軍政が維持されたほうがいいと思うのは私だけだろうか。

 しかし、そんなタイを内外ともに放っておけない。民主主義に戻れ、早く民政への移行をという声があちらこちらから上がり、圧力もあちらこちらからかかってくる。国王交替という機会を利用していろんな利権の争いが表面化したり、白熱化する。これはむしろ政治の世界では当たり前のことではないかと。

 暴走→抑止→暴走→抑止・・・。このメカニズムから、乱走の時代に突入すると、国家の安定が失われる。諸外国が安心して投資できる環境ではなくなる。

 では、安定方向の仮説の1つ、軍政が定着した場合はどうだろう。それは当面大きな騒ぎがないものの、長期的にタイの経済は成長する見通しが立たない。ASEANのなかでも、近隣諸国の躍進に対照的にタイ経済の不振が目立っている。ハイテクが売りでもなければ、安い労働力もベトナムやカンボジア、ラオスに負けている。中途半端だ。タイ経済の建て直しは、構造的調整が必要だが、軍政権はその意思も能力もないだろう。

 さらに、外交面に目を向ければ、中国はタイに対し更なる影響を強化すべく働きかけるだろう。タイは南シナ海で中国との利害関係の衝突がない。それどころか、「ブルー・ストライク2016」と名付けてタイ軍と中国軍が去る5月から6月にかけて合同軍事演習まで始めたのであった。軍事政権の長期化に支援を取り付けるべき、中国に協力を求めるのが世界複数の国で見られる共通現象ではないだろうか。

 つまり、国際政治のなか、タイはどの陣営に立つかという基本的な問題が表面化する。

 このままの現状では、軍政維持にしても民政復帰にしても、とりわけ外国からの投資を呼び込む力をタイは持ち合わせていないし、さらにこのたびの「ブレーキ問題」によって、外資にとってのリスクが多重化した。むしろ、外資のほうからブレーキをかけることになるだろう。

 「微笑みの国」。果たして微笑み続けられるのか。

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