大きな強盗団と小さな国家、ヤクザの親分になれるか?

 ずいぶん昔の話。某知人の子がどうも勉強を好まず、正道を行かずにならず者と仲良しだったので、ちゃんと勉強するように叱ってくれと頼まれた。私はその子にこういった。

 「チンピラやならず者と一緒じゃ出世できないぞ。せっかくやるには、ヤクザの親分になれ。勉強しないで親分になれるとでも思ってるのか・・・」

 知人が驚愕した。「そういうことを言ってもらうために、あなたを呼んだわけじゃない」。まあいいから、しばらく様子を見ようではないと私が言ってその場を去った。

 後日談になるが、その子はそこそこの学校を卒業して、そこそこの大企業に就職し、普通のサラリーマンになった。やはり、ヤクザ親分の器ではなかった。

 強盗にも泥棒にもそれなりの倫理道徳がある。狙う家の中に宝があるかどうかを判断するのが「聖」。最初に家に押し入るのは「勇」、略奪してまず仲間を逃がした後、最後に逃げるのは「義」、犯行がうまく行くかどうか判断するのは「知」、盗品を平等に分配するのは「義」である。(「荘子」胠篋篇)

 組織の運営原理は基本的に同じだ。強盗団も国家も。アウグスティヌスがいう。「国家とは大きな強盗団で、強盗団は小さな国家ではないか」。その通りだと思う。