戦争コストと不戦争コスト、平和憲法の不平和効果

 半島有事、第二次朝鮮戦争のコスト試算が出た――。200兆円+数万人から数十万人の犠牲(「産経新聞」報道に基づく試算)。

 トランプ政権には確かに過酷な決断だ。だが、この数字は今後時間が経つにつれ、待てば待つほど膨らむだけだ。94年当時の北朝鮮核危機の際先制攻撃した場合のコストと比較すれば自明の理だ。そしてトランプ氏の任期。2期といわず、1期すら待ちきれないだろう。

 あのとき潰しておけば良かったと、いまさら当時の米クリントン政権を批判しても何ら意味もない。それがいま、さらに待つことはどんな将来を意味するか。

 攻撃が反撃を呼び、日韓が巻き込まれ、民間も多数の犠牲者が出る。そこで政治責任を問われるトップが躊躇う。そうした民主主義はテロにハイジャックされる。悪がエスカレートしていくのだ。

 独裁者には躊躇する必要はない。平壌が火の海になろうと、どんなに民間人が死んだろうと、金正恩には無関係だ。それがある意味で独裁政権の「強み」だ。

 もう一度憲法前文を読もう。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。ならず者国家に公正と信義を期待し、信頼するほうが愚であり、それに自らの安全と生存を賭けることは、すでに愚の限界を超えている。生存本能の放棄にほかならない。憲法改正を放置してきたツケが回ってくるだろう・・・。

 政治とは、犠牲を避けるのではなく、犠牲を最小化するものだ。

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