政治に無関心でも政治、政治は生活そのものだ

 政治に関心がない。そういう日本人が多い。それは意図的に無関心を装っているか、気付いていないか、主流派追従か、あるいはただの無知か馬鹿である。

 「政治とは、人間とその生活を扱うものである。技術であり、科学ではない。可能性を探る技術である」。リー・クアンユーがいう。

 精神障害者以外、人間は生まれてすこしでも物事を知るようになったときから、政治をはじめている。親にものを買ってほしい。どうしたら買ってもらえるか、ママに泣きわめくか、パパの前で良い子にするか、あるいは交互にやるか、幼いながらも政治的手腕を使うのである。

 日本人が得意とする建前と本音だって立派な政治だ。サラリーマンが出世するために、ものを言ったり言わなかったり、作為したり不作為を保ったり、あるいは知っていても知らんぷりしたり、すべて政治である。

 さらに、政治に無関心を装うこと自体も、政治そのものだ。敵を作らず、より円滑に多くの利益を手にするための政治である。ただの平穏や平和、現状維持、被害回避、そうしたものだってすべて利益となるわけだ。

 政治とは自分がもつパワーを使い、相手(複数なら集団)を動かし、そこから自分に有利に働くよう仕掛け、そこで自分のパワーの保持、さらに拡大を図ることだ。

 私がこの原稿を書いている作為も当然ながらも政治のうちである。さあ、その政治的目的とは?そう聞かれても、笑って答えない。ノーコメントという不作為も政治である。

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