「まっとうな政治」とは?政治と経営の違い

 衆院選が終わった。大方の予想通り、自民が大勝した。ただ、ちっとも楽観できない。どう見てもダメな輩も当選している。どんな選挙民がどういうつもりで1票を入れたのだろうか、さぞかし信じがたい。

 ふと思いつくことだが、政治と経営の違いとは何か。基本的に、経営に長けても政治がうまくいくとは限らない。経営のプロ、大前研一氏もその好例。数億円の私財をなげうって選挙に出ても、惨敗。氏は後日「大前研一敗戦記」という本を書いて、「二度と政治をやらない」と言った。

 経営は人を選ぶこと。政治は人に選ばれること。それが大きな差異だ。私から見れば、経営は弱者を振り落とし、構成員の選別と排除を前提としている。どんな美辞麗句を並べる経営者でも、入社試験を課している以上、それは「選良」であって、「選強」である。

 企業は、馬鹿社員を必要としないが、国家は、馬鹿国民でも包容しないとダメなのだ。その馬鹿な愚民層が厚くなればなるほど、政治家自身がたとえ賢者であっても、馬鹿なふりをしないと当選できない。大前氏のように理性的な経営理念を駆使した選挙手法を取ったら、待っているのが落選にほかならない。

 行政改革や小さな政府が良いとする一方、完璧な行政サービスや社会保障を求める。子供の世代に借金を背負わせたくないと言いながら、増税に反対する。政治だけではない。良いサービスを求めながら、格安料金をも強要する。おかしいですよ。社会が非論理性で空転していて疲弊化している。

 非論理性を平気で持ち合わせる馬鹿な国民は決して少数ではない。こういう選挙民を前に論理的なアプローチをとれるのだろうか。

 「まっとうな政治」。最近政治の世界で流行語になっている。「まっとうな政治」とは何か。まず「まっとうな選挙民」がいなければ、「まっとうな政治家」が生まれない。「まっとうな政治家」がいなければ、「まっとうな政治」などできるはずがない。

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