神は一度も生きたことがない

 全財産を失ってすっからかんになったとき、同期に出世で抜かれたとき、失業して路頭に迷ったとき、病に酷く苦しめられたとき、親族や友人に裏切られたとき、そういうときでも、私は一度も「苦」と思ったことがない。

 人生には、「苦」なんてない。命がある限り、「楽」なのだと、私はここまでの人生を通してそう思って生きてきた。

 全てが試練だ、試練の次に来るのが天国だ。生きている間の現世はすべて天国なのだ。なので、死後にたとえ地獄が待ち構えているとしても、私は喜んで地獄に落ちてやる。何も心残りがないからだ。なので、私には宗教は要らない。

 宗教はよく、生を「苦」とするが、それは死後の天国をでっち上げるための工作に過ぎないだろう。多くの人に生を「苦」と思わせれば、宗教は産業として繁栄するわけだ。軽薄な免罪符販売業に過ぎない。

 さらに宗教は弱者に死後の天国を描きながらも、強者に地獄を用意する。それはルサンチマンを増殖させ、弱者を永遠に弱者のままに固定し、一握りの特権階級の支配的地位を守るための道具に過ぎない。

 どんな宗教でも下層民にいけばいくほど、敬虔な信者が多い。上層階級を見れば、戒律を無視して享楽に浸かっている輩がうようよとしているのではないか。彼たちは死後よりも生前に価値を置くのはなぜか、考えたことはありますか。

 ニーチェがいう「神は死んだ」。私は思う「神は一度も生きたことがない」。神が全能なら、暴力や戦争すべての悪を世界から一掃すれば良いじゃないか。何でできないのか、何で終末まで待たせるのか・・・。

 答えはどこにもない。神は生きたことがないからだ。もし神が生きているというのなら、一人ひとりの人間のなかに生きているだろう。

 世の美しさ、生の素晴らしさを謳歌し、強者への意志を人間の魂に植え付け、積極的能動的ニヒリズムの信者になり、自分の中に生きる神の信者になり、真の人生の主人公になること、これこそが生の価値ではないか。


 付言しておくが、本文はあくまでも私自分の人生観や死生観、宗教観の発露に過ぎない。いかなる宗教の信者のそれを否定するつもりもない。

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コメント: 神は一度も生きたことがない

    1.  私は無神論者ではありません。無宗教者です。反一神教者です。自分の中にある神との対話は続けるべきだと思っています。

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