天国と地獄どっち行く?宗教産業のビジネスモデル

 仮説で彼岸の世界に天国と地獄が存在するとしよう。神が人間生前の所為を評価し、天国行きと地獄行きを判断する。その評価基準も存在しかつ無謬であるとしよう。

 それでも少々の疑問が残る。たとえば100点満点中60点を合格点としよう。そこで60点の人が天国、59点の人は地獄という結末になるが、それは合理的といえるのだろうか。

 人間世界の罰則も、量刑によって行われている。20年の刑やら10年の刑、5年の刑といろいろある。さらに執行猶予だったり服役中でも減刑したりする。恩赦だってある。極めて流動性と柔軟性に満ちた罰則システムである。

 たとえば刑罰をすべて一律死刑としよう。ある人が盗みをしたところ、第三者に目撃された場合、その盗人は何をするかというとまず目撃証人を殺してしまうことだ。だって窃盗も殺人も同じ死刑なのだから(証人抹殺で犯罪摘発から逃れる可能性も出てくるわけだ)。

 故に天国と地獄の二元処理は極めて不合理、いや乱暴といわざるを得ない。人事評価だって5段階くらいあるのだから、天国、準天国、一般世界、準地獄、地獄という死後処遇の細分化があっていい。いや、なければ困るのだ。神には評価制度の改革を薦めたいくらいだ。

 善と悪、天国と地獄。二元論は宗教産業が創り出したビジネスモデルだ。大多数の人間は、極善でもなければ極悪でもない。本当ならば、一般世界や準天国あたりに落ち着けば良いのだが、二元論を打ち出すと状況が一変する。人間の天国志向が一気に強まる。いや、正確に言うと選択肢が剝奪されたのである。すると、神のもとでなく、神のいわゆる「代理人」の元に顧客が殺到するのである。

 信仰は崇高だが、宗教は単なる信仰の産業化に過ぎない。免罪符販売業に過ぎない、と私は思う。

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