シンガポールに来たら、「Must Do」リストの筆頭に上がるのは、海南鶏飯(チキンライス)を食べること。
2012年3月、シンガポールでは有名な「鶏飯戦争」が勃発。チャイナタウンのマックスウェル・フードセンターにある海南鶏飯の名店「天天海南鶏飯店」では、20年以上も勤めていた調理人が番頭で経営を引き継いだ2代目と経営方針を巡って対立し、収拾がつかなくなったところで造反し、仲間数人を連れて店を辞めた。
辞めた調理人たちはなんと、同じフードセンターの中でしかも数軒先に同じチキンライスの「阿仔海南鶏飯」を開店した。それは競争よりも戦争だ。決して平和な暖簾分けではない。かといって、「阿仔」は決して激安戦略で価格戦を仕掛けなかった。そこはまさに職人気質といえよう。
この手の事件はたびたび法律問題も絡む。20年も勤めた調理人なら本家「天天」のノウハウを知り尽くしているだろう。いわゆる営業秘密を使った競争はそれなりの不当性を帯びるだけに、「競業避止義務契約」たるリスク回避措置が取られてもおかしくなかった。しかし、「阿仔」が堂々と挑戦状を叩き付けたところを見ると、そのような問題は発生していなかったようだ。
鶏飯愛好家やグルメ評論家たちが両店で食べ比べ、激論を繰り広げてきた。鶏飯戦争も数ラウンドが行われ、いまだに明確な勝敗が判定しにくい状態である。
と、すこし目線を変えてみると、異なる景色が見えてくるかもしれない。鶏飯戦争をシンガポールの地元紙が大々的に取り上げたこともあって、本家も分家もすっかり名店中の名店になった。メディアの宣伝効果、食べ比べの売上げをも加味すると、総量増だったことは間違いない。であれば、敗者なき戦争ともいえるのではないか。
そもそも調理人の造反は意図的に謀略されたと、そういう可能性はなかったのだろうか。仕事柄どうしても性悪説的に考える習慣が身に付いた私、鶏飯を頬張りながら少々自己嫌悪に陥ってしまった。それにしても、メディアの報道は一銭もかからない宣伝になったことは、誰もが否定できない事実であった。