昨日付けのブログ記事「庶民脱出、日本社会のサバイバルは自己救済のみ」に関連して、読者コメントの一部を以下転載する。
「立花先生がおっしゃる庶民からの脱出とは、結局のところ、『この数パーセントに入りましょう。庶民には奴隷生活しか待っていない』ということですが、民主主義国家がこのような未来しか描けないようであれば、民主主義国家は、『中国の夢』にすら及ばないということになります。無制限な競争は、投資家のもとに利益を蓄積するだけであり、国民の多くには何の利益ももたらさないのは明らかです」(以上、読者コメント)
私の仕事は、国を救うことでもなければ、世界を救うことでもない。過酷な時代においても、可能な限り、特定の組織や個人(顧客)を救うことだ。私の仕事は競争を止めることではない、顧客が競争を勝ち抜くよう手助けすることである。
平たく言ってしまえば、私は世界を変える専門家ではなく、人間を変える専門家だ。私にとって、世界は認識の対象であっても改変の対象ではない。もっと分かりやすくいえば、私は地震を研究しているとしよう。それは地震を止める技術ではなく、地震からいかに早く逃げる技術だ。故に、読者提起の課題は、私のキャパを超えているので、残念ながら回答できない。
最後に付言しておこう。
「民主主義国家がこのような未来しか描けないようであれば、民主主義国家は、『中国の夢』にすら及ばないということになります」ということだが、民主主義国家である日本の国民は、民主主義国家を捨てて、「中国の夢」の共有を目指すことが許されている。が、独裁国家である北朝鮮の国民は、国家を捨てる自由すらない。もちろん、庶民から脱出する自由もない。
美しい未来でも、普通の未来でも、酷い未来でも、民主主義国家の最大の素晴らしさは、「未来を描く自由」があることだ。私個人的にも、この「未来を描く自由」を大切にしている。
「自分しか頼れるものがありません」。立花先生らしい、力強いお言葉です。同時に、傲慢な言葉です。
立花先生は、社会、そして庶民に頼って生きておられますよ。私も同様です。道路も、水道管も、建物も、庶民によって作られています。立花先生が毎日口にしていらっしゃる食べ物も、庶民によって作られて庶民によって運ばれてきています。
社会そして庶民がいなければ、私たちの生活は成り立ちません。
「庶民からの脱出」などと馬鹿げた傲慢なこと口にできるのは感謝の心を忘れているからです。立派な大学をご卒業なさっているが、一番大切なことを学ばれなかったのですね。
「庶民からの脱出」というたいそうなことをおっしゃるなら、どうぞ、その少数派と孤島でお暮しになってみてください。常日頃、サバイバル力とおっしゃっているぐらいですから、魚をとったり、豚を育てたりぐらいのことはできるのでしょう?
そうしてこそ、本当の「庶民からの脱出」というものです。生活全般において、庶民の力を借りながら、「庶民からの脱出」などとは、あまりにもおこがましい。
「傲慢」や「感謝を忘れた」などといった主観的、道徳的なご批判はいくらでもなさってください。佐々木さんは、ただ社会があなたの望まれたとおりになっていないから、私の発言もあなたの望まれたとおりになっていないから、批判するのであって、それは大いに結構です。
ただ、私や社会をいくら批判されても、佐々木さんにとっては現実は1つ変わりません。私は「庶民」を否定する気持ち何1つありません。そもそも「庶民」というのは存在であって、善も悪もありません。佐々木さんが脱出する願望がなければ、脱出する意思がなければ、脱出する能力がなければ、どうぞご自由に「庶民」であり続けてください。非常に立派なことです。
さらに、私を批判し続けることも、ご自由です。最後に付言しておきますが、「大学で一番大切なことを学ばなかった」というご指摘は、それはまさにその通りでございます。私は学校でなく、社会で一番大切なことを学んだのです。
もう一つ気になること。
「『自分しか頼れるものがありません』、力強いお言葉です。同時に、傲慢な言葉です」
「力強さ」も「傲慢」もさておき、私のいったそのことは、真実か、嘘か、どっちなんですか?
佐々木さんは、自分以外の頼れるものを捜し求めていたのですね。お気持ちは分かりますよ。
なるほど、「未来を描く自由」ですか。
しかし、「未来を描く自由」を求めるだけなら、孤島で一人であってもできることですね。
最大多数の幸福を実現を目指してこその民主社会ではありませんか?
庶民脱出などと、一人だけ、或いは少数だけの「未来」を求めるのであれば、どこかの島で勝手に暮らしていてくださいとなるのではないでしょうか。
「未来を描く自由」を放棄しても全然問題ないですよ。一方、その自由を求めて、銃弾を浴びながらも越境して南へ逃げる北朝鮮の兵士もおられます。まあ人それぞれですね。
佐々木さん、あなたは結局「社会」に頼って幸せになろうとしていたのですね。残念ですが、そういう社会は存在しません。自分しか頼れるものありません。世の中は、社会を変えるか、自分を変えるかの選択肢ですから。