アートの話、人間の知的基盤が脆弱だった原因とは?

 「アート」とは何か?普通の日本人なら、その答えはおそらく「音楽」や「芸術」だろう。

 ずいぶん昔の話だが、私の家庭はいささか「理系迷信」傾向だったために、私の大学専攻を決めるときにも随分対立があった。最終的に親の意向にそって大きな進路としては「理系」としながらも、「理系」の中から私が自由に「学科」を選んでいいという妥協条件を引き出した。

2011年10月、チェコのチェスキー・クルムロフでスケッチ中

 私は迷わずに「建築」を選んだ。私のなかでは建築は「理系」ではなく、「アート」だったからである。実際に大学在学中にも「構造力学」類の科目よりも、「デッサン」や意匠系ないし都市計画といった社会学に近い科目に熱を入れた。最終的に社会人になってからは、法学や経営学、哲学といった「純文系」へと本格的転向を実現した。

 大方の日本の大学はいまだに、「理系」や「文系」と分類していることに私は大きく違和感を抱く。欧米の大学では学問体系は、大きく「アート」と「サイエンス」という2つに分かれている。「アート」とは、人間が作ったもの。「サイエンス」は、神が作ったものと捉えられている。

 故に、歴史や文学、哲学、美術、建築、音楽などがすべて「アート」に分類されており、これらの学科は一般的に「humanities」と位置づけられている。一方では「サイエンス」は、「ナチュラル・サイエンス」(自然科学)と「ソーシャル・サイエンス」(社会科学)に分かれ、前者は自然界対象で後者は人間社会対象というふうに位置づけられる。

 最近よく言われている「リベラルアーツ」という言葉だが、欧米の学問体系ではそれが「アート」と「サイエンス」、つまりすべての学問の基礎と考えられている。大学でもまず基礎を履修した後に「専攻」(メジャー)を決めるわけだ。「リベラルアーツ」とは日本で言われている「教養」よりも、「基礎」といったほうがより適切であろう。

 私も専攻ありきで日本国内の大学を出たものの、いざ仕事をやってみると、何か不足していたことに気付く。基礎体力が足りない、人間としての知的基盤が非常に脆弱だったことに気付く。そこで30代ないし40代になってから、哲学や歴史、音楽に飛びついた。

<次回>

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