【論文】労働市場改革・多様な働き方に対応する制度構造改革~3階建®人事制度

労働市場改革・多様な働き方に対応する制度構造改革~3階建®人事制度
エリス・コンサルティング・立花 聡

報告日:2019年6月29日 
日本労務学会第49回全国大会(慶應義塾大学開催)

要約:現下日本の「働き方改革」の本質とは何か?低成長時代における賃金原資の総量増は望めず、「分配の公正性」が中核課題になってきている。とりわけ正規雇用労働者と非正規雇用労働者の所得待遇格差に対し、一元的基準に基づく衡平原則を用いて、労働者の「雇用と任命の区分運用」モデルにより、正規と非正規の壁を段階的に取り払う一方、企業側の人件費と生産性の均衡化を実現する、そうした制度的構造改革案を考察する。

1. 課題と研究方法

 日本の「働き方改革」に当たり、その根源的なものとは何か。IMF(国際通貨基金)の対日協議のために作成されたワーキングペーパーに基づく分析によれば、提案された構造改革政策の冒頭に挙げられたのは、正規・非正規雇用問題を中心とする労働市場改革である。これにより30年間で7.5%の生産性上昇効果が得られると試算された[1]。

 日本が抱えている「正社員終身雇用」の問題について、たびたび厳しい指摘を受け、一部「解雇規制緩和」を求める声も上がっている。しかし、果たして解雇規制の問題だろうか。OECDのEPL指標(雇用保護規制の強さを測る指標)による評価では、OECD平均を上回ることで、雇用規制の強い国とされている。しかし、OECDの加盟国の大半を占めるEU諸国と比較すると、日本は特段と解雇規制が強いとはいえない。フランスやイタリアは日本よりも規制が強い。毎年刊行されている「Employment Outlook」や「Economic Policy Reforms」、随時公表される調査書などの内容を見てみると、OECD は「労働市場の二極化(labour market dualism)」 が日本の大きな問題であると一貫して指摘している。日本で頻繁に取り上げられる「正規雇用の解雇がほとんど不可能」ということではなく、それが正規・非正規の大きな格差を生み出していること、そして格差を是正する規制がないことを問題視しているのがわかる [2] 。

 正規・非正規雇用の問題の本質とは何か?比較法の目線から中国の労働法制度を取り上げ、過去10年間の在中国日系企業の事例研究に取り組んだ。2008年中国労働契約法の施行によって、日本に類似する無固定期間労働契約締結者(日本の正規雇用労働者相当、以下「正規社員」と称す)と固定期間労働契約締結者(日本の非正規雇用労働者相当、以下「非正規社員」)が同一企業内に共存する状況になった。私が在職するエリス・コンサルティング(上海)で2008年から2017年までの間に取り扱われた現地日系企業の労務係争案件に対し共通項を抽出し、実務的解決法の検討と事例研究を行った。

 案件の性質からして、広範な大量データを収集し統計処理によって一般化された法則を導き出すような量的アプローチを取るのが困難だった。現実的に限られた一部のサンプル企業に絞り込まざるを得なかった。また、企業組織がターゲットとされるだけに、事例指向的な研究方法が向いているとも思われた。限られた事例についての特徴、またそれを取り巻く多様なコンテクストからなる、主に定性的データの解釈によって現実を捉えようとした。「正規社員と非正規社員の比較」を主たるテーマとし、比較範囲は在勤期間(流動性、定着性)、賃金待遇、労働生産性、労使関係など諸方面にわたった。

 本稿に用いられる用語「任命」について説明する。英語の「appointment」は、「任命による職・地位」を意味し、日本語「辞令」の英訳は「letter of appointment(任命書)」とされている(研究社 新和英中辞典)。本稿では「特定の職・地位(への着任)を命ずる」という解釈に基づき、「任命」という用語を、公務員に限らず、英訳の趣旨を含めて一般企業の人事辞令をもカバーする広義的な意味で使用している。

2. 労働法における「労働者」の無差別性

 エリス・コンサルティングで2008年から2017年までの間に取り扱われた在中国日系企業の労務係争案件は749件(同一企業の重複を含む)に及ぶ。その87%(端数は四捨五入、以下同じ)に当たる651件は解雇権と人事権(賃金調整、異動等)をめぐる争いだった。さらにその651件の紛争のうち、601件は中間管理職以上の当事者であり、92%も占める割合であった。相対的低賃金の労働者保護に主眼を置かれたはずの「労働契約法」は、結果的に中上位職の相対的高賃金労働者による労働紛争を急増させてしまった。さらに、エリス・コンサルティングが2013年から2017年までの間に実施した日系企業の従業員流動率調査によると、経営期間が15年以上、従業員数300~500名の24社の企業の年離職率(年度内離職者数÷年始従業員数)は、8%から17%までの幅にほぼ均等に分布しており、平均13%となっている。さらに離職者の分布では、入社3年以内の離職者が89%を占め、入社10年以上(ほぼ管理職)の離職率は0%であった。

 日本との相違点からいうと、労使紛争の多さである。「労働契約法」が全労働者に無差別な保護を与えたことにより、結果的に弱者よりも相対的強者にあたる管理職などの上位労働者が便乗して法的権利の主張に乗り出した。法の趣旨である「弱者保護」にあらず、「強者保護」の現象が現れた。

 この仮説を裏付けるように、2009年7月6日、中国最高人民法院が「目下の情勢下における労働争議紛争案件の裁判活動の実施遂行に関する指導意見」(法発[2009]41号)を公布し、民事一廷の責任者が報道取材に対し以下のように語った(コメント抜粋)。「『労働契約法』と『労働紛争調停仲裁法』が昨年(2008年)に相次いで施行されてから、多くの労働者はそれを自身の利益を擁護する利器として、仲裁や訴訟等の方式により労使の対立を解決しようと乗り出した」。「弱者保護」となるはずだった労働法は、多くの労働者によって企業を攻撃する利器として利用された。と、司法当局が自ら法の歪みを認めたことになる。利器として利用した時点で、労働者はもはや弱者でなくなり、強者となっているのである。特にホワイトカラーで中間管理職以上の労働者による紛争事件が多発する現地では、「過当維権」と呼ばれ、「権利の過剰主張」とされていた。

 従業員の流動率データに基づき、離職者と関係者の一部にヒアリングを行ったところ、概ね以下の状況(離職の動機付け)が判明した。「正規社員、特に管理職に高給取りで働かない、能力の低い人が多い」「無能な上司の下で働いている従業員は酷使されながらも、実績を横取りされる」「管理職ポストはほぼ正規社員に取られており、昇進の道は閉ざされている」といった若年社員、特に非正規社員は早い段階で離職していた。

 中国の「労働契約法」のもとで、企業は満10年勤続の労働者、または2期連続固定期間労働契約を締結した労働者とは無固定期間労働契約を締結しなければならない。固定期間労働契約は一般的に1期につき2~3年と設定されているため、多くの企業では勤続5年以上の労働者のほとんどが正規社員となっていた。これも日本の「無期転換ルール」いわゆる「5年ルール」に酷似している。

 日中両国の労働法制度の下で生まれるのは、「正規社員」の既得利益への担保メカニズムである。しかも、正規社員の既得利益は時間の経過とともに積み上げられる一方である。そうすると、法制度の保障のもとで緊張感も熱意も失われ、加齢とともに知識のアップデートの弱化と労働生産性の低下により、賃金所得と生産性の乖離が生じる。この現象は企業内において一般化すれば、社員全般のモチベーション低下につながる。

 アメリカのギャラップ社が世界の企業を対象に実施した従業員のエンゲージメント調査(2017年)によると、「熱意があふれる社員」の割合はアメリカが32%なのに対し、日本は6%しか存在せず、調査の対象となった139カ国中(日本)132位という悲惨な実態が明らかになった。さらに「意欲のない社員」は70%、「周囲に不満をまき散らしている無気力な社員」は24%に上っていることも明らかになった[3]。

 昨今の日本の「労働市場改革」は、単に非正規雇用労働者を正規雇用労働者化することや、賃上げを企業に求めることは明らかに本質的な問題解決につながらない。場合によってはさらなる既得利益の積み上げを促し、状況を悪化させる可能性もある。賃金の上昇は労働生産性の上昇に連動するものであり、労働生産性を上げるには、労働市場の構造改革をなくしてあり得ない。日本の労働市場は正規雇用と非正規雇用に二分されている。これが生産性上昇を阻む一因であるという国際通貨基金(IMF)の指摘は、中国労働市場の例示によって裏付けられている。

 正規雇用労働者の既得利益のすべてが労働法によって無差別に保護されているところも、日中が共通している。労働法は全労働者に無差別な保護を与えたことで、結果的に弱者保護という法の理念が実現されないまま、強者の強化につながった。法律関係からいうと、雇用関係に当たる民法の領域に、労働法という社会法(公法と私法の中間に位置する法律)が過剰に介入したという推論が成立する。

 民法と社会法に属する労働法との交錯に問題があったのである。言い換えれば、私的自治の原則に基づく民法の規定と労働法による強行規定・制限との共存を目指したところ、バランスの不調和が生じたのである。20世紀における労働法の発展は、労働契約における個別合意の支配を制限・排除することに特徴づけられる[4]。労働者の従属性を前提として、労働条件の決定にあたり強行的な効力を持つ法令、労働協約、就業規則等の規範の効力を、個別の合意によって成立する労働契約に優位させる体系が整備されてきた[5]。これを背景に民法と労働法の乖離現象が顕著になった。二者はまるで異なる法律であるかのように労働現場で運用されているのはいかにも不自然である。

 故に、労働法の介入を弱化するには、法改正が要請される。たとえば、「解雇規制緩和」というのも一案である。解雇規制の緩和、その第一義的なターゲットは、決して「解雇」にではなく、「解雇可能」というメカニズムに設定されるべきであろう。前記のギャラップ社の調査で示唆されている、「熱意があふれる社員」の割合ではアメリカが相対的に高くなっているのも、企業が随時解雇権を行使することができるという牽制機能があるからであろう。つまり、「解雇権」たるものは理念的に解雇が目的でなく、社員に適度な緊張感を与え、より高いモチベーションやパフォーマンスを引き出すための手段に過ぎないのである。

 中国の場合、2008年の「労働契約法」の施行までは、当時の労働法の下で、ほとんどの企業では固定期間労働契約(有期労働契約)の繰り返し締結(更新)モデルが主流として運用されていた。同国の高度経済成長によって国内貧富の格差が広がった時期になると、政府としては労働者保護に乗り出さざるを得なくなった。これを背景に法改正に踏み切ったところ、政治的色彩が濃厚だった。であれば、一度実施してしまった「労働契約法」を改正し逆戻り的に、解雇規制を緩和するわけにはいかないだろう。労働者の大反発で社会的不安が高まれば、統治基盤の安定性に悪影響が及ぶからである。

 日本の場合でも、戦後の長い期間に終身雇用制が定着した経緯を振り返ると、いまになって急激に一気に正社員の解雇規制緩和に踏み切るにはリスクが高すぎる。政治的な決断も困難であろう。そこでドラスティックな法改正を回避し、現行法制度を維持しながらのソフトランディングの可能性を探し求めることが急務となる。このあたりも、日中の共通点・類似性がまたもや見出される。

3. 「雇用」と「任命」の切り離し

 中国の労働現場に戻ろう。労働法制度が当分現状維持という前提で、企業単位レベルでの制度調整を行い、これにより法改正同様、あるいはそれに近い効果を得られないだろうか。

 まず、労働法における「労働者」という定義について、その本質的な部分の変更は難しい。ただ、実務レベルでは、労働者は「量的」に均一的な概念ではないことに気付く。その賃金や地位、担当職務によって、非正規雇用労働者もいれば、正規雇用労働者もいる。低賃金の現場労働者もいれば、高給取りの中上級管理職もいる。労働者は一定の基準に基づき、異なる層に分ける可能性に着目したい。

 結論からいうと、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の枠組みと壁を取り払い、相互乗り入れを可能にすることである。これを前提にし、一旦一元化された労働者に対し、再度、何らかの強弱判断基準に基づいて異なる層に分けて取り扱うという原理である。

 何らかの強弱判断基準とは何か。まず思いつくのは管理職と一般従業員の層分けではなかろうか。中国労働法はこのような層分けには対応できていない。すると、民法レベルで考えることにしよう。「管理職」という概念について、中国「公司法(会社法)」の第216条では、「『高級管理人員』とは、会社の経理、副経理、財務責任者、上場会社の董事会秘書および会社定款が規定するその他の人員」と定められている。日本風に訳すと、「上級管理職」とは会社の社長や副社長、財務部長、上場企業の役員会秘書および定款所定のその他の管理職(例:部長や課長など)」ということになる。

 これらの「管理職」は明らかに一般従業員と違って、「使用者」と「労働者」という二重の身分を有している。国によってはこれらの管理職は使用者に分類されるケースもある。この種の二重身分者には労働法だけでなく、民法あるいは会社法といった異なる法律の適用も考えざるを得ない。たとえば、中国法の場合、「公司法(会社法)」第46条により、董事会(役員会)は会社の経理(社長)を一方的に解任することができ、また社長の決定に従い、副社長や財務部長等の管理職を解任することができる。しかしながら、「労働契約法」に基づいて一定の条件を満たした場合にのみ、労働者と労働契約を解除すること(解雇)ができる、とかなり要件が厳しくなっている。

 つまりは管理職の「解任」には事由を必要としないが、労働者の「解雇」には事由が必要だということである。言い換えれば、民法に基づく「解任」と労働法に基づく「解雇」との間には、本質的な差異が存在する。このような複合的な関係を処理するには、管理職の二重身分に対応して民法と労働法の二重適用(一定の区分基準を用いて)が必要になる。具体的にいうと、解任された管理職は必ずしも解雇されるとは限らない。単なる降級減給扱いにすぎず、管理職から外れても、非管理職の一般労働者としての地位を喪失するものではない、と理解すべきであろう。

「解雇」と「解任」の性質を考察し、出口を論じたが、これを裏返せば、入口となる「雇用」と「任命」も見えてくる。

 中国の人事実務においては、まず正規雇用労働者と非正規雇用労働者といった雇用形態の分類を意識する必要はない。一元的に労働者とみなしたうえで、「任」と「雇」にのみ区別扱いのメカニズムを確立する、という手法である。中国「労働契約法」が施行された2008年から、筆者は在中日系企業にこの体系を確立し、運用を始めた。実務上では、管理職に対する定義をどう規定するかというと、次の文脈・手順になる。まず、企業と労働者は労働関係(雇用関係=雇)を確立する。その際に労働法を適用し、労働者のあらゆる権利と義務を前提とし、労働契約書たるものを締結する。次に、適任者に限って会社の任命に基づき、管理職という「任」を付与する。これにあたっては、会社は期限付きの任命書(letter of appointment)を発行し、労働者本人が受諾サインをしたうえで、着任する。

「任」には一定の期限がつく。「任期」を記載された任命書が満期終了となれば、本人は任から退く。ただ退任または解任されたときには、「労働関係」あるいは「雇用関係」の「雇」には影響が及ばない。正規雇用で無固定期間労働契約を有する労働者は、「任」から退いても、「雇」は存続し、管理職より下の一般従業員として所定の業務につき、労働者の身分を保有し続ける。無固定期間労働契約を有する正規雇用労働者は、「任」に期限付きでありながらも、「雇」には期限なく定年まで勤務することができる。

 管理職のポストにはこれにより流動性が加えられたわけである。管理職の地位や高給取りたるものは決して既得利益とならない。管理職としての業績が会社(役員会や株主)に認められなければ、解任または退任もあり得る。「適任性の認証」手続がより明確な形で任命体系に折り込まれる。強者にあたる労働者には牽制効果をもたらし、健全な緊張感を与える。

 2015年以降、中国の法曹界や労務管理現場では、管理職の労働関係の切り離し運用(層分け)を提唱する声が大きくなった。管理職の解任問題について、民法における委任関係に基づき、「契約法」の委任契約条項を援用して処理すれば、管理職が「労働契約の継続履行」を求めるトラブルも解消できる、という実効性が徐々に表れた。管理職の職を解く際に、法定の解雇経済補償金プラスアルファで特別追加補償金を支払うことが望ましいという主張も見られた [6]。ただし、これは結果的に民法上の「解任」概念を用いて労働法上の「解雇」問題を一括解決しようとするだけに、法的リスクが生じやすく、補償金の金額交渉が泥沼化する事態にも発展し得る。筆者としては賛同できない。実務上ではやはり、民法と労働法の区分運用が望ましいと考える。

「管理職」の認定基準に触れておきたい。前記中国「会社法」216条の「会社定款が規定するその他の人員」の射程について、明確な定量規定が必要であろう。「その他の人員」の恣意的な拡張で一般労働者を名ばかりの管理職に仕立て、その権利を侵害することがあってはならない。たとえば管理職の賃金額については、当該地域または当該企業の平均賃金の一定倍率といった基準を設置すべきだという主張もある[6]。

 米国法では、「労働法」という言葉は、往々にして労働組合や団体交渉、その他労働組合にかかわる諸問題に適用するものとして使われている。一方では、「雇用法」という言葉は、雇用者と被雇用者の関係に係わるあらゆる法律問題に適用するものとして使われている。これも労働法と民法の相互関係を示唆するものであり、上記に述べた中国における区分運用モデルと相通ずるものがある。

4. 契約の不完備性

 雇用に対する厳格な保護、そして任命に対する柔軟な運用を、1つの契約に内含させるには、技術的に難しい。前者が労働法、後者が民法という二重性が阻害要因になる。さらに契約期間も不一致である可能性があるから、単一契約で扱うのに向いていない。期間について労働者保護という意味においても、労働契約の長期性が法に要請されている。長期雇用、あるいは終身雇用を前提とする労働契約の長期的安定性と、任命における短期的流動性というアンチテーゼには適切な対処が欠かせない。

 経済学では、経済取引を2つに分けて考える。1つは市場取引であり、もう1つは企業内の組織的取引である。前者は分権的な取引による資源配分であり、後者は中央集権的な取引による資源配分である。労働サービスの提供という点では、事業者に外注する場合が市場取引であり、労働者を雇用して組織内で労働サービスを提供してもらうのが組織的取引である。業務内容がすべて事前に契約で明記かつ指示可能で、その労働サービスの内容や達成度について第三者にも明らかに立証できるのであれば、労働者を雇用する必要はなく、その労働サービスが生み出す成果や生産物を直接請求すればよいだろう。つまり、請負契約や物品発注のように、その生産プロセスにわざわざ係わる必要はなく、市場取引として市場から調達すればよい[7]。

 財務的にいえば、市場取引は変動費にあたり、企業内の組織取引は概ね固定費になる。できれば、経営リスクの低減や健全な財務体質という目線においても、市場取引に委ねたい。しかしながら、業務内容は多岐にわたり、経営の状況によっても変化したりノウハウの蓄積を必要としたりする。さらに成果物の品質に対する検証も都度必要であるという場面も多く、万が一外部業者に契約不履行があった場合、それを立証して法的に損害賠償を請求しなければならない。その際多大な取引コストが発生する。

「契約の不完備性」とは、将来起こり得る出来事に関して、契約上にすべてを明記することはできない状態を指す。企業が市場取引に付するか、それとも組織的取引で完結するかは、契約の不完備性の度合を評価したうえでこれを決定する。外部業者への発注よりも、労働者を雇用して組織的取引にするのは、「契約の不完備性」が相対的に高いという事情があるからである。であれば、労働契約は「契約の不完備性」を有する契約であることが明らかだ。さらに、労働契約は外注よりも属人性が高い。外部業者の場合、業務担当者を交替させ業務を完遂することができるのだが、組織的取引だと、特定の労働者の属人性に依存し、様々な変動要因を内包している。労働者個人の健康状況や加齢だけでなく、学習能力や動機付けなども契約の不完備性を増加させる。

 契約の不完備性に対応するには、事情の変更に伴う機敏な同期反応(変更)が要請される。しかし、この反応(変更)は必ずしも当事者双方にとって有利なものとは限らない。特に労働者側にとって既得利権の毀損につながる変更もあり、それはしばしば「不利益変更」と捉えられ、労働法上における制限対象となる。日本の場合、不利益変更を行う際に、従業員個人や労働組合の合意(労働協約の締結)を得る必要や、あるいは就業規則による一方的変更の合理性を立証する必要が生じる。これも取引費用がかかる。

 しかし、労働条件のいわゆる「不利益変更」とは、すなわち全労働者にとっての「不利益」になるかというと、必ずしもそうではない。たとえば、原資に限りがあるという前提下で生産性の相対的に低い高給取りの管理職の賃金を減らし、生産性の高い若い従業員の賃金を引き上げるという資源配分の調整は、前者にとって不利益であっても、後者にとって利益である。ひいて言えば、衡平原則ないし社会的公正の原則にも合致し、広義的労働者一般にとっての利益に相当する。これには十分な合理性がある。

 契約の不完備性に対応するために、変化する事情に機敏な同期反応が要請される。この「動態的」な実情に、「静態的」な労働契約で対応するには不合理性が伴う。一方、労働契約そのものの流動性を容認すれば、企業の恣意的な労働条件の改悪にもつながりかねないため、労働者の権利保護という労働法上の基本原則に反する。よって、「動静分離」の手法により、静態的な「雇用」と動態的な「任命」を切り離したうえで運用する方法に合理性を見出すことができるだろう。

5. 結論

 日本の「働き方改革」に包含される中核的な課題は、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差解消である。この課題の取り組みには、労働市場全体的な構造改革が要請されている。偶然にも筆者は2001年から中国に進出した日系企業向けの経営コンサルティング業務に携わり、2008年に同国の労働契約法の誕生という激変に立ち会った。

 急激な労働者保護に政策を転換させた同国の労働市場では、混乱が起き、法曹界でも新法をめぐる大論争が繰り広げられた。解雇権と人事権(賃金調整や昇降格、異動等)の大幅規制により企業経営の流動性が失われるという現象の裏に隠されていた本質的な問題は、労働者に対する無差別な保護であった。強弱共存の労働者が一律の保護を受けた時点で、既得利権や優位性をもつ強き労働者がますます強化される一方、弱き労働者は分配される資源を大きく喪失する、という労働法の弱者保護の本旨に反する結果となった。

 経営コンサルタントという実務者の立場から、とにかく崩れたこのバランスの修復に没頭し、企業の労務現場で悪戦苦闘した。実務の傍ら、事例指向的な研究も始め、本質の把握と一般法則の探求を試みた。辿りづくのは、労働者の強弱区分に基づく制度運用であった。民法と労働法が交錯・複合的に共存する単一の労働契約と賃金構造は、企業の管理に支障を来すだけでなく、労働者の強弱格差の拡大にもつながりかねない。そこで、静態的な労働法上の「雇用」と動態的な民法上の「任命」の区分・切り離しと棲み分け作業を始めた。これにより、たとえ終身雇用の労働契約(1階)であっても、そのうえに期間限定の職位任期オプション(2階)を上乗せすることを可能にした。さらに最上階に実績に応じて配分されるインセンティブ等流動性要素(3階)を加え、「3階建」®制度の基本構造を作り上げた。過去10年間に、中国とベトナムの日本企業現地法人72社に「3階建」人事制度を導入した。

 生産性や実績を評価基準として、制度的優位性をもつ強者への相対的過剰な資源配分を是正し、その分有能な弱者に割り当てる。この理念から、正規雇用労働者と非正規雇用労働者の格差解消という日本国内労働市場の課題との共通性を見出しながら、日本での運用モデルを模索しているところである。


[1] 佐志田晶夫『日本経済の長期的課題~IMF(国際通貨基金)エコノミストの分析』公益財団法人日本証券経済研究所(2019)
[2] 矢澤朋子『日本は正規雇用の解雇が最も難しい国?』大和総研(2014)
[3] 産経新聞Online『経営陣が無能だとこうなる 優秀な人が会社を去っていく7つの理由』(2018年4月1日付記事)
[4] 野田進『労働契約における「合意」』」日本労働法学会編「講座21世紀の労働法第4巻・労働契約』19頁 有斐閣(2000)
[5] 西谷敏『労働法の基礎構造』第6章144頁 法律文化社(2016)
[6] 丁文輝と林丹静『会社と上級管理職の労働関係の切り離し管理』北京徳恒(福州)弁護士事務所論文(2017)
[7] 江口匡太『労働者性と不完備性』日本労働研究雑誌2007年9月号(No.566)

引用(参考)文献
エリス・コンサルティング社内データベース(2001~2018)
董保華・立花聡『実務解説 中国労働契約法』中央経済社(2010)
董保華『「労働契約法」における理念調整と制度改造』財新中国改革2016年第3号
Aaron Halegua,Memo on U.S.Employment Law (2014)

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