分断や棲み分け、「中国の時代」と「グローバル時代」のダブル終焉

 ついに、WHOが「パンデミック」を宣言。

 世界の末日ではないにしても、2つの大きな変化が避けられない。1つは「中国の時代」の終焉。もう1つは「グローバル時代」の終焉。この2つの時代は互いに緊密に絡み合っているのである。

 中国共産党政権は、社会主義を標榜し、独裁支配を続けながらも、グローバル時代の資本主義・民主主義制度を都合のいいように使ってきた。私がいつも言っているように、紳士と盗賊とは紳士ルールで取引をしていたら、紳士が負けるに決まっている。知的財産権などの問題を作り出し、経済的にはサプライチェーンを中国という一国内に取り込んできた同国の独裁政権は、これらを人質にした。

 グローバル時代に、すべてのプレイヤーが同一の紳士ルールに従って取引をしていれば、問題が少ないかもしれないが、そうなっていなかった。利益、特に短期利益の最大化という資本主義制度の動機付けとメカニズムがまんまと中国に利用された。資本主義の巨人である米国でさえもこの本質に気付かなかった。社会主義がいずれ資本主義に飲み込まれ、消滅するだろうという希望的観測を持ち続けた。

 しかし、そうならなかった。グローバル化という大義名分を最後まで悪用した中国は莫大な経済的利益だけでなく、政治的にも独裁支配の正当性を裏付ける理由まで手にしたのである。その先は強気になった中共政権はついに、米国というビッグパワーに挑戦を仕掛けようとした。

 そこで状況の深刻さに気が付いたのはトランプ氏だった。彼が米国大統領になってから、反グローバル化に走ったのも、状況の挽回を図ろうとしたからだ。中国に作られたサプライチェーンを断ち切って、産業を米国内に回帰させ、国家の「再工業化」に乗り出した。労働集約型産業は中国から移出し、ベトナムや東南アジアあるいはメキシコにシフトし、全体的な「脱中国化」を既定戦略方針とした。

 そんな米中貿易戦争の真っ只中に、新型コロナウイルスという怪獣がやってきた。次々と陥落し、鎖国に追い込まれる諸国の惨状を目の当たりにしてあることに気づく。世界が狭くなったのは危機の伝播をもたやすくし、「融合」や「一体化」が裏目に出たのである。国境の大切さ、棲み分けの大切さを改めて思い知らされたときでもある。

 「地球共同体」という虚無な概念が時と場合によっては有害ですらある。共同体の最大単位は決して地球ではないし、絶対にそうならないのである。EUでも再分断する可能性はないとはいえなくなった。少なくとも移民の流入を阻止すべき、強固な国境の壁や鉄条網が再建され、最定義された共同体の安全保障がより注目されるだろう。

 中国との棲み分けは不可避になる。イデオロギーや政治制度の相違を看過した経済的取引は危うく、持続性を有していない。痛みを味わいながらも、新天地に向けて一歩を踏み出そう。

 中国の時代が終わった。グローバル時代も終わった。

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