日本社会の不自由、資本主義市場経済からの乖離

 アダム・スミスが「国富論」で資本主義の市場経済について、4つの自由を特徴として挙げている――生産(挑戦)の自由、売りの自由、買いの自由、失敗の自由。これらの自由の下で、政府は市場取引に関与せず、売買取引行為の強制・腐敗・詐欺・独占の取り締まりのみに特化すると。

 日本社会を見渡すと、実はこれらの自由が大変制限されていることがわかる。特に失敗の自由がない。日本社会は、失敗に寛容ではない。失敗は減点だけでなく、場合によっては命取りになる。特定の組織も社会全体も同じ、失敗に寛容ではない。失敗を避けるためにも、人は不作為を選ぶ。すると、生産(挑戦)の自由が連帯的に希釈される。

 売りと買いの自由はあるかというと、典型的な事例は、労働力だ。終身雇用制度はこれまで、労働力の売り買いの機会を奪った。すると、人それぞれ自分の労働力の時価を知らない。賃金カーブを労働力時価と勘違いする。加齢とともに右肩上がりに伸びると。それは誤解だ。労働力はスポット時価で、その時その時の市場評価(売り買い)で形成された株価チャートのようなものだ。全体的に上昇傾向の人もいれば、横ばい推移の人もいる。アップダウンの人もいれば、下降傾向の人もいる。一律に扱えないのだ。

 こうしてみると、日本社会はアダム・スミスが描いた資本主義の市場経済モデルからずいぶん乖離しているように思える。今後はどう変わっていくか注目したい。

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