老いは、万病の元。だから、老いは病気。老いを治すことが根源的課題になる(デビッド・A・シンクレア『ライフスパン 老いなき世界』)。

ただ、老いという病気を治すことは、許されていない。この世界では、社会制度や限られた経済的資源からして、許されるべきではない。言い換えれば、平均寿命の劇的な延長は、許されないものだ。死、適齢における早めの死が必要なのだ。
老いという病気を治すことは、技術的課題の一面においては、可能かもしれないが、同時に適応を要する課題であるため、人類社会はその適応の準備ができていない。地球がクローンによって複製できれば、話が違ってくるが。
仮説として、先進国だけでも、平均寿命が100歳になったとしよう。すると、資産の分布、資源の割り当ては、完全に高齢者に傾くことになる。資源の総量不足が致命的に顕在化し、若者の生存を脅かす。若者が反老闘争、戦争を引き起こし、老人を殺さざるを得なくなる(言い過ぎかもしれないが)。
で、若者が老人の減少に成功したとしても、自分がいざ老人になったときの生存も次世代、次々世代の若者に脅かされる。すると、人口の総量制限が絶対に必要になってくる。
私の持論であるが、現状世界の問題はもはや、「少子化」ではなく、「多老化」である。「老害」という問題よりも、「不老」が害の根源になってくる。すると、世界の将来は、結果的に経済的格差から、寿命の格差につながる。
老いを治す科学が成立した時点で、地球は大混乱に陥る。




