石原慎太郎氏が逝去された。
都知事時代の氏は東日本巨大地震に関して「津波は天罰、我欲を洗い落とす必要」と発言し、批判されたことを思い出す。氏の発言の真意を理解もせず批判するのは知性のなさ、民度の低さの表れにほかならない。
罪とは、決して福島の被災者を指していたわけではない。われわれ全員、日本人ないし人類全体が欲望の暴走を許した罪に対して、福島の人々は代わりに、贖罪がなされたといってもよかろう。『新約聖書』では、イエス・キリストが自分を十字架で犠牲として捧げることによって、贖罪がなされたと説かれていた。それを考えれば、理解できるだろう。
しかし、津波による贖罪は不十分だった。ついに、全人類に対する天罰が下された。それがコロナだった。神や自然に対する畏怖の念を失った人類は、科学を妄信し、疫病と戦うことに走った。
中国の古典によれば、神々はその職能に応じて分類されている。瘟疫の神や医薬の神についても、瘟神、痘神の項目があり、六朝時代から「五瘟使者」という瘟神が伝えられていた。疫病をはやらせる神は、厄病神であり、あるいは神の使者として降臨するわけだから、畏怖の念を抱かずにして天罰を食らっても当然だ。
コロナに直面しながら、「我欲を洗い落とそう」と真剣に考えている人はどのくらいいるのだろうか。多くの人は天罰を食らいながらも、「昨日に戻ろう」とした。周りはどうであれ、私は自分の罪深さを自覚し、反省している。
合掌。