落花流水、愛も戦いも自然の摂理

 我が家の庭は、プルメリアが満開。

 落花流水。――散り落ちる花と流れる水。花が流水に散れば、水もこれを受け入れ花を浮かせて流れてゆく。男に女を慕う心があれば、女もまた情が生じて男を受け入れるという男女の相思相愛の慕情をいう。

 こんな天国のような美景とあまりにも鮮烈なコントラストを成すのは、戦火に燃える北の欧州大地。中国語の「落花流水」とは、また別の意味が込められている。花の凋落ぶり、ゆく春の景色を表現し、転じて、散々な目にあい、殊に戦いに大敗する様相に喩えられる。

 なんとセンチメンタルな景色であろう。

 「戦争反対」という叫び声は空しい。戦争を好む人誰ひとりいない。しかし、欲が存在する限り、戦いは地球上から消えることはない。「戦争反対」それ自体も平和を欲する我欲ではないか。自然界ではもともと平和がなかった。人類が食物連鎖の頂点に立った時点で、安全保障を求め、「平和欲」が生まれたのである。

 欲とは希少性があっての結果である。平和も然り。平和は願えば叶うものでなく、代償を払って勝ち取るものだ。戦争が悪だとすれば、人類一般の性悪説で解釈されるべきであろう。宗教上の原罪はまさに欲に起源している。

 落花流水、愛も戦いも自然の摂理である。

タグ: