懐かしアルバム(4)~震災津波直後の「不謹慎」なリゾート

<前回>

 2004年12月26日、スマトラ島沖で巨大地震が発生し、津波がインドネシアやタイなど東南アジア諸国の沿岸を襲い、二十数万人の死者を出す未曾有の大惨事となった。

 その1か月後、私は春節休暇を利用してタイ南部のプーケットで休暇を取ることになっていた。旅行会社から、無料キャンセル可能の通知を受けたが、「いや、キャンセルは結構です。予定通りに行きます」と私が返事した。

 周りから反対の声が上がった。安全理由上の好意な進言もあったが、「こんな大災害の直後という非常時期に、現地入りしてリゾートするのが不謹慎ではないか」という非難の声もあった。私は聞く耳を持たずに、予定通りに現地へ飛んだ。

47797_2津波の爪あとが痛々しい(ピーピー島、2005年2月撮影)

 災害1か月後のプーケットはひどい。街はほぼゴーストタウン化している。津波の爪あとは誠に痛々しい。私が泊まる300室規模のリゾートホテルの宿泊客は20組未満だった。

 「亡くなられた方々に、心からお悔やみ申し上げます。そして、こんな大変な時期にリゾートにやってきた私たちをお許しください」、私がホテルの係員に切り出すと、なんとその係員が涙ぐんで合掌して深々と頭を下げた。

47797_3プーケットの海(2005年2月撮影)

 「何をおっしゃいますか。なくなった人たちは生き返ることができません。でも、なくなった人たちの遺族、生きている私たちは生きて行かなくてはなりません。お葬式は一日あれば十分、残りが一生です。お香典をもらい続けるわけにはいきません。これから生きていくための糧を得たいのです。観光が私たちの仕事です。ですから、観光客が一日でも早く、一人でも多く戻ってきてくれたほうが、何よりも私たちに対する支援なのです。本当に、本当に、ありがとうございます」

47797_4人影のいないプーケットのビーチ(2005年2月撮影)

 ホテルのレストランに入ると、「お客様が少ないから、特別サービスです」と、高級食材の安売りを薦めてくるが、それを断る。「すべて正規料金でお願いします。それから、在庫が一番溜まっている食材を料理してください」と私が注文する。

 観光客の影がほとんど見られないプーケットの海はいつもよりも、美しい。この地の人たちの将来を祝福して、プーケットを飛び立った。

この地にやってきたのは、間違いではなかった。

<次回>