マレーシア移住(21)~最盛期の中国脱出、マレーシア移住を決めた理由

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 私のマレーシア移住。MM2Hビザの許可が降りてから本移住までは、ほぼ1年半かけて準備に取り掛かった。本ビザの取得、現地住環境・生活環境の視察、住宅や車両の手配などで数度渡馬したのは、それほど大した負担にならなかったが、何よりも、「職住分離」という仕事のモード変換は最も大変だった。

 当時、中国市場がもっとも盛り上がっており、会社の事業もピークを迎える時期だった。突然に「立花が中国の現場を離れ、マレーシアに移住する」とは何事だと、みんな驚いた。顧客はもちろんのこと、いちばん困惑したのはスタッフだった。「立花さんはまだ40代だし、老後を考えたり、移住するには早すぎるのではないか。5年や10年先に延ばせないか」と止めてくれる部下もいた。

 老後になって老後を考えるのはもう遅い。40代だからこそ老後を考え、動き出さねばならない。と自分の中にそう決め込んでも、人には言えない。特に仕事の仲間を傷つけるものだと自分にはよく理解している。それでも、私には家族より優先するものはない。私利私欲で批判されても甘受する。

 申し訳ない。まったくの自己都合、わがままだった。いくら移住後に出張ベースで引き続き中国の仕事をするとは言え、離れていく顧客も出てくるだろうし、会社の売上げや収益の下落はむしろ避けられない。周りに迷惑をかけることについて、ただひたすら頭を下げて謝るしかない。

 と、老後プランといった個人的都合はあるものの、実は中国は最盛期を迎えつつも、まもなく衰退期に入るだろうと、私が見ていた。ベンチマークの1つになっているのは、華人富豪・実業家の李嘉誠氏の動きだった。

 李氏が中国撤退の英断を下したのは、2012年頃と推定される。2013年10月、李氏は建設中の上海陸家嘴東方匯経中心(OFC)を90億香港ドルで売却した。私は同年10月に上海からマレーシアへ移住した。クアラルンプール市内の新居に入ってわずか2週間後、この一報に接し、「私の読みが当たった」と感じた。

 李氏は2013年10月の東方匯経中心の売却を皮切りに、2014年57.5億香港ドル、2015年66.6億香港ドル、2016年200億香港ドルというペースで中国や香港の資産を売却し、その総額が1761億香港ドルにも上る。

 2015年1月、李嘉誠氏は長江グループと和記黄埔有限公司を合併させ、会社の登記地をケイマン諸島に移す。2017年、李氏は香港のランドマーク級の大型資産「中環中心(The Center)」を売却した。一連の大型売却で得た巨額の資金を中華圏から引き揚げ、欧州や北米、豪州などにシフトさせ、ポートフォリオの組み替えを着々と進めた。

 李嘉誠氏は裸一貫から世界級の富豪に這い上がった人物で、ビジネスのセンスに優れているだけでなく、政治的な嗅覚も抜群に鋭い。本社転出の一件を考えても、香港は自由貿易港であり、利便性がよく、法人税も高くないため、一般人が考えるような節税策ではないことが明らかであった。

 ゴールド資産を大量購入し始めたのも2017年。同年4月20日付の台湾・経済日報が報じたところによると、李氏は金鉱企業関連の投資だけでなく、大量の金地金も購入した。初の大量ゴールド資産投資だったという。

 「有事の金」というが、ゴールドは換金性が高く、戦争や革命、ハイパーインフレなど「有事」の際、「最後のよりどころ」として買われる。だが、2016年に北朝鮮が続々とミサイル・核実験を行い世界を恐怖に陥れても、李氏はすぐには動かなかった。2017年になって李氏が初の金大量購入に踏み切ったのはなぜか、その理由は他人には知り得ない。ただ、彼がポートフォリオの組み替えにアクティブに動き出したこと自体が注目に値すると、私は考えた。

 中国や香港からの撤退。巨額の投資を引き揚げた李氏を「儲け逃げ」と批判する中国や香港の世論もあったが、李嘉誠氏は公開書簡を発表し、「私は商人だ。ビジネスマンだ。道徳家ではない。利益を出すことはビジネスマンの本質的な価値所在だ。利益を上げられない商人は良い商人ではない。昨今のグローバル時代では、資本の流動は当然だ。資本に国境はない」と世論の批判を一蹴し、「撤退の罪」を全面的に否定した。

 批判は李氏と中国本土の権力との結託まで及ぶが、李氏は「政府との協力はウィンウィンの原則に基づき、利益を上げるだけでなく、中国本土に資金や技術をもたらし、人材も育成したことで、中国の発展に寄与した」とし、共存共栄の正当性を主張した。

 次回は李嘉誠氏の話の続きを含めて、私が中国を離れた背景を語る。

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