マレーシア移住(22)~「逃げるが勝ち」と「勝ち逃げ」の神髄

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 最盛期にあるからこそ、衰退を考え、撤退を検討する。というのがリスク管理の基本である。中国が衰退トレンドに変わったのは、まさに私がマレーシアへ移住した2013年だった。

 2008年秋のリーマン・ショック後、中国が打ち出した4兆元(当時のレートで約57兆円)の景気対策は、中国だけでなく、世界をも救ったとされる一方、中国国内では地方政府や国有企業の債務を急増させ、不動産バブルといった後遺症ももたらした。労働市場では、労使紛争が急増し、労働力コストも年々上昇した。

 私が2007年9月1日号の当社会員誌に寄稿したコラムの一節を抜粋する――。

 「中国の外資導入は、加工貿易から始まった。ところが、輸出税還付から加工貿易政策の全面的な調整まで、最近一連(2007年以降)の動きから、加工貿易時代の終焉をはっきり感じ取れるようになった。80~90年代にあれだけもてはやされた加工貿易だが、いよいよ中国政府に切り捨てられる。思わず『薄情者』と非難したくなる一方、冷静に考えると納得もする。中国に外貨が溜まった。労働集約型で安い工賃を稼ぎながら、貿易黒字や環境破壊で諸外国に指弾されると、さぞかし気分はよくない。年老いた糟糠の妻を家から追い出したくなる。家に残りたければ、もっと若い美人妻に変身しろと。中国語の経済用語で言えば、いわゆる『産業結構優化』、『転型正義』『転型痛苦』、つまり『産業構造のグレードアップ(モデルチェンジ)は、正義である。薄情かもしれないが、その苦痛に耐えるべきだ』ということになる」

 中国にとって労働集約型の外資企業は年老いた糟糠の妻になり、外資の全盛期は終わったのだ。2008年以降、各方面において不安の兆しがじわじわと見えてきた。仕事場を中国から東南アジアへ移転しようと私が画策し始めたのは、2010年のことだった。

 2012年春、マレーシアへの移住が決まったその直後に、反日デモが中国を席巻した。2013年1月1日付けの産経新聞は、私に対する取材記事を掲載した。その一節を抜粋する――。

 「立花氏は中国ビジネスを手がける日系企業を3つのグループに分けて戦略を練るよう訴えた。

 まず、中国に加え東南アジアなど別の進出先で製品供給のバックアップ態勢を取る『チャイナプラスワン組』。ただし 資金や人材に余力のある企業でないと難しい。次に、取引先が全て対中進出し、販売市場が中国にしかないため、中国にしがみつくしかない『チャイナオンリー組』。この場合は、日本の成功体験を捨て、徹底的に現地化、中国化を進める必要がある。

 最後は、労働集約型の工場など、労賃の急騰や労働力不足で今後、経営悪化が予想され、中国での成長が全く望めない 『チャイナゼロ組』だ。『投下資金の回収を断念してでも、早期の撤退を決断すべきだ』と立花氏はいう。

 中国は政府関係者や既得権益層など20%の特権階級が国家の富の80%を握るとされる。不正蓄財での富のゆがみが大きく、中間所得層による爆発的な消費市場の拡大は望み薄とみる。

 立花氏は、『低成長時代に入ると一部の特権階級は中国でのうまみを失い、不正蓄財を含む資産を持って海外に逃げ切ろうとするだろう。そうなれば大多数を占める負け組だけが取り残され、13億人の中国は“幻の市場”に。社会動乱の要因が拡大する』という」

 私は経済学者でなく、経営コンサルタントである。中国経済の将来を見通してナンボという立場にない。ワースト・シナリオを想定し、それに備えて企業経営に逃げ道を作るのが仕事である。とはいっても、情勢を判断するためのベンチマークはいろいろ持っていた。その中の1つが、前述したように李嘉誠氏の動きである。

 2018年3月16日、李嘉誠氏は90歳を前に引退を宣言し、現役を退いた。引退会見では、中国政治にも触れ、改憲に伴う習近平主席の続投可能性について、「私に投票権があったら、習主席の続投に支持票を投じるだろう」とリップサービスするなど、政治的バランス感覚はまったく鈍っていなかった。

 2018年の旧正月頃、李嘉誠氏一族傘下の長江実業上海子会社では、密かに大規模リストラが始まった。中国の金融・経済情報専門メディアである財聯社が2018年8月24日付けで報じたところによると、リストラは上海法人の投資企画やマーケティング、工事など複数の職能部門にわたり、多くの従業員が解雇された。

 さらに報道は内部関係者の話を引用し、「上海法人ではこれまでに大型リストラは一度もなかった。今回はあまりにも突然で規模が大きいだけに、ほかに原因があったのではないか」と異変を報じ、「李嘉誠氏は中国撤退ではないとしているが、言っていることとやっていることが違う。今回の大型リストラは、李氏が中国本土の不動産事業から完全撤退するサインだ」と指摘した。

 高校を中退した李嘉誠氏はプラスチック製の造花を輸出して財をなし、不動産、港湾、エネルギー、通信にわたる一大商業帝国を築き上げた。動乱の時代を乗り越えるためには、ビジネスや経営の才覚だけでなく、政治的な嗅覚も欠かせない。これらを兼ね備えているのが李嘉誠氏であった。

 私の感覚では、2010年以降の外資による中国事業は、ほぼ終盤戦参入に等しい。勝率はかなり低くなっていた。しかし、終盤戦の数年間は、李嘉誠氏にとっての収穫期に当たる。彼は2013年から6年にわたって完熟した果実を収穫し、新天地で新たな種まきを着々と進めてきた。彼の動きは、必ずしも時流に乗っているように見えなかったりもするが、そうした「異端児」的な動きから、揺れ動く世界のメカニズムを読み取る力を垣間見ることができた。その力は、サバイバルの本能を誇示する野性的なものであった。

 知り合いの中国人や台湾人の実業家・経営者たちで密かに李嘉誠氏の動きをモニタリングしている人が多い。それでも、李氏に同期してリアクションすることが難しいのは、人間はやはり目先の事象に目を奪われる生物であるからだ。

 日本人は海外に行っても、往々にして同胞の行動にしか目を向けようとしない。すると、二次情報どころか、三次情報や四次情報をつかまされる。それでは勝ち目がない。中国も一時期、「世界の工場」やら「13億人の巨大市場」やら大騒ぎされる時期があったが、世の中はそう甘くないのである。

 「経営者にとって最も重要な仕事とは、すでに起こった未来を見極めることである」(ピーター・F・ドラッカー『断絶の時代』)。李嘉誠氏はその良き実践者であった。

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