ゴン太とお別れの日、でもずっと一緒

<前回>

 2024年3月13日、ゴン太とお別れの日。朝からゴン太を1階のリビングへ移動。ゴン太は大好きな庭をもう一目見ようとわずかに目を開けてくれた。

 15年間の年月、感謝という一言しかない。ゴン太は毎日毎日、ひたすら待っていてくれたのだった。もう少しゴン太と一緒にいる時間を作れなかった、作ろうとしなかった自分の罪がいかに重いか。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

庭を眺めるゴン太

 午前10時30分、マレーシア在住の友人であり、獣医師・動物医療グリーフケアの第一人者である阿部美奈子先生が遥々とクアラルンプールから弔問で来宅。丁寧にゴン太の手形を取ってくれ、一緒に最後の時間を過ごした。

 正午、いよいよ旅立ちの時間だ。ハチはお兄ちゃんに最後のお別れを告げにやってきた。兄弟の絆はいつまでも切れることはない。2人はきっとひそかに再会を約束したことだろう。

 12時15分、自宅を出発。ゴン太を乗せた車を、普段の倍以上に注意深く、揺れのないように私が運転する。Nirvana Semenyihまで50kmの道のり、ゆっくりゆっくりと1時間半以上かけて走る。快晴。山上に向かって緩やかな坂道を登っていくと、天国に近づく道はのどかで、風光明媚。

 14時、最後のお別れ。ゴン太にはもっとたくさんの時間をかけて一緒に過ごすべきだった。何度お詫びしても私の罪は消えない。ごめんなさい。そして感謝、感謝、感謝。感謝という一言以外に何もない。またいつの日かかならず再会する。ゴン太に約束する。ありがとう、ゴン太。

 14時55分、収骨。箸で骨を拾うことはあの世とこの世の「橋渡し」という意味を持つそうだ。あの世はどうなっているのだろうか。虹の橋の下で、ゴン太はたくさんの仲間と一緒に遊びながら、私たちを待ってくれているだろう。

 16時45分、ゴン太の遺骨を乗せた車は、ゆっくりと自宅へ滑り込む。「ゴン太、お帰りなさい。これからはずっと一緒だ」と、ゴン太に話しかける。お別れではなかった。そして、夕食前の出来事だ。激しい夕立が収まり、真っ赤な夕焼けが一面の空を飾る。1杯のお酒をゴン太に捧げると、突然にゴン太が雲となり、現れる。

2010年4月23日、1歳半のゴン太

 風を切って、スレンバンの空を駆け抜けるゴン太の姿は、14年前そのままだ。ゴン太はずっと私たちと一緒だ。離れることはない。絶対にない。

<次回>