ゴン太と一緒に歩いた道をたどる、我が子を偲ぶ上海の旅

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 3月22日(金)、「ゴン太と一緒に歩いた道をたどる、我が子を偲ぶ上海の旅」。――上海出張中に、1日の仕事をキャンセルして、歩く旅にする。ゴン太は、上海生まれでマレーシアにやってくる前に、上海で5年間私たちと一緒に暮らしていた。思い出の詰まった旧居を回り、ゴン太と一緒に歩いた散歩道を一歩一歩踏み締めながら、過ぎ去りし日々に浸かりたい。

2009年10月3日      法華苑      2024年3月22日

 2000年8月から10年以上も一番長く住んだのは、上海市内にある「法華苑」(法華鎮路123号)。2008年にゴン太を我が家に迎え入れてから2010年の転出までは、ずっと一緒にここで暮らしていた。14年ぶりにやってくると、建物がすっかり老朽化した。当時外国人向けだったホテル式のサービス・コンドミニアムが、今や現地人のローカル住宅棟と化した。

 ただ老朽化する分、構造的にほとんど改築もなく、当時のままの状態だった。ゴン太とよく散歩していた2階の広い中庭もセキュリティカメラが増設された以外は、原状が維持されていた。15年前(2009年)の写真に照らして、同じ場所を見つけ、ゴン太の面影と一緒に写真に収めたところ、思わず涙ぐんでしまった。

2009年10月3日      法華苑      2024年3月22日

 法華苑の敷地から出て、近場の「華山緑地」という小さな公園までゴン太と一緒に散歩することも多かった。法華鎮路から幸福路に右折し、そのまま北上する。両側にある小さな店へ立ち寄ったりする間に、華山緑地にたどり着く。当時愛犬家たちの溜まり場だったこの公園は今や、犬散歩禁止の標識が出され、大都会上海の一角を占める、洗練された緑地に変わった。

華山緑地

 そよ風に撫でられる中、公園の散歩道を一歩一歩踏み締めながら、ゴン太の面影を探した。ゴン太はここでたくさんの友達と一緒に元気よく遊んでいた。あの時の光景はまるで昨日のようだった。ベンチに腰を下ろし、頬にそよ風、髪に木洩れ日といった穏やかなひと時に、なぜか目頭が熱くなった。過ぎ去りし日々に浸かり、感傷的になった自分には、老いを悟る瞬間だった。

2010年10月3日     華山緑地      2024年3月22日

 上海時代。2010年12月に「法華苑」から「虹橋緑苑(アメリカンホームズ)」へ転居し、マレーシア移住まで3年弱住んだ。当時のアメリカンホームズは、上海に数多くある日本人村の1つだった。私たちが上海を離れてから間もなく、この団地は売却され、住民が追い出された。今や新しく洒落た超高級住宅に生まれ変わり、昔の面影はほぼ残っていない。

2010年10月19日 旧虹橋緑苑            2024年3月22日

 「ゴン太と一緒に歩いた道をたどる、我が子を偲ぶ上海の旅」は、終わった。我が子の面影を追いかけるなかで、上海という街に住んだときの色んな思い出が蘇った。センチメンタルジャーニーに呼び起された斜陽人生の自覚は、甘美な過去と対比的に苦渋に満ちたものである。

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