<雑論>トランプの矛盾 / アディダス中国大規模贈収賄疑惑 / 投票と政治の関係 / 民主主義という産業 / 中露必勝の原因

● トランプの矛盾

 トランプは、ディープステート(DS)と戦ってきた。DSとは、ユダヤ系国際金融資本が絡み、陰から世界を支配してきた勢力であり、アメリカの金融や教育、メディアを牛耳ってきた。しかし一方、トランプは親ユダヤである。この矛盾はどう説明するか。3つの仮説がある。1、DS潰しは芝居。2、親ユダヤは芝居。3、トランプはDS潰しによってユダヤ系改革に取り組もうとしている。さあ、どっちだろうか。私は3ではないかと思っている。トランプはおそらく、ユダヤ人改革に取り組もうとしている。現状は、以下の通りだ。

 ① ユダヤ人は、金融資本で米国の政治、教育、メディアを牛耳り、特権階級DSがほとんどの利益を吸い上げ、貪欲を貪って今後もこのモデルでやっていこうとしている。一方、アメリカはすっかり衰退した。
 ② ユダヤ人の被害史を掲げ、反ユダヤ勢力を抑え込む一方、民主主義の偽装で、なんとかやりくりしてきたが、ガザ戦争で米国の露骨なイスラエル支援が「人権よりも金」という実態を露わにした。
 ③ グローバル化の破綻、中国の台頭によって、従来のモデルに障害が生じ、持続不能になってきた。さらにアメリカとヨーロッパの利益相反も徐々に問題となり、欧州の一部離反も表面化しつつある。
 ④ トランプは、「DS潰し」「連露抗中」「自国優先」という3本柱の戦略を組んだのは、正しかった。しかし、バイデンに破壊された。

 トランプは、親ユダヤだが、ユダヤのDS系を排除し、ユダヤ再建を目指しているのではないかと。今のままでは、ユダヤ人が中国人に負けてしまうからだ。アメリカは、もう限界にきている。

 トランプは習近平とよく似ている。習は中国共産党と、トランプはユダヤ系と運命共同体でありながらも、腐敗摘出の浄化作業を続けている(トランプは取り組もうとしている)。

● アディダス中国大規模贈収賄疑惑

 世界第2位のスポーツウェアメーカーであるアディダスの中国現地法人では、「数百万ユーロ」単位の大規模な贈収賄疑惑が浮上した。6月16日付の『フィナンシャル・タイムズ』が報じた。

 アディダス中国の従業員による匿名の内部告発があり、調査が始まった。アディダス中国におけるマーケティング予算に関わるシニアマネージャーを含む、複数のアディダス中国の従業員の名前が挙げられている。告発によると、これらの予算は年間2億5000万ユーロにのぼるという。

 匿名の内部告発状は、これらのアディダス幹部・社員が、同社が委託した外部サービス業者からリベートを受け取ったと主張している。 中国の別部門に勤務していた別のアディダス上級マネージャーは、「サプライヤーから数百万ドルの現金と、不動産などの現物を受け取っていた」と告発されている。

● 投票と政治の関係

 「低投票率=政治に無関心」。――これは、トリック。私は政治に関心があって色々勉強した結果、投票は無意味で無駄だという結論に達した。この時代に、民主主義の投票制度に公然と異を唱える人はどのくらいいるか。誰一人もいない。民主主義は正義だからだ。投票は正義の体現なのだ。正義にノーとは誰もが言えないのだ。

 民主主義制度において、権力を国民に持たせるための非常に重要な仕組みは、定期的で公正かつ公平な選挙制度である。理論上、議員や指導者は一人一票に基づいて選出され、その政策は最大多数の人々の幸福を目指すものとなる。

 しかし、民主主義国家で投票を存分にエンジョイしている人たちで、その投票の結果が幸福につながったとしみじみと実感する者はいるのだろうか。あまり、いない。なぜだろうか。教えてあげましょう。それは、票が政治を動かすのではなく、政治が票を動かしているからである。さらにその裏に資本が政治を動かしているのだ。

 ほとんどの大衆は、政治に無関心だという。政治に無関心なら、どうやって政策の良し悪しを判断するのだろうか。大衆は政策という「何」でなく、政治家の「誰」で判断している。近所の付き合いだから、頼まれたから、人柄が良さそうだから、ハンサムだから、しょせんそんな感じで一票を投じているのではないか。一般大衆は政治のプロパガンダに容易に動かされるのである。メディアから教育まですべて資本の制御下に置かれた以上、大衆向けの洗脳はさほど難しくない。ヒトラーの時代から今まで、何も変わっていない。独裁者は民主主義によって選ばれているし、戦争は民意で発動されているのである。

 演出だ。白い手袋、大音量のスピーカー、中身のない演説、そして「最後のお願い」。プラトンが嘲笑し批判している「劇場型政治」そのものだ。政策の議論よりも、そもそも国益とは何かという初歩的議論もなされていない。議論の次元にすら到達していない。愚民の票で固まった政治、良くなるはずがない。 福沢諭吉いわく「愚民の上に苛政あり」。その通りだ。

 だから、投票は無意味でかつ時間の無駄。選挙とは、腐った肉か腐った魚を選ぶようなものだ。

 先日、田原総一郎氏と舛添要一氏の取材記事をフェイスブックでシェアしたら、「この2人に関して、政治的主張でなく、人間性に問題がある」というコメントが寄せられた。人間性の問題。別にこの2人と付き合うわけではない。何の関係があるのか?そこが日本人のおかしなところ。

 「Who」と「What」の取り違え、95%以上の日本人は正確に処理できない。なんでも「人」を見て処理する。「良い人」「悪い人」、「信用できる人」「信用できない人」。これは、特に日本人の幼稚性の現れだ。「事」を分析・判断せずに、「人」に脊髄反射する。

 日本共産党だって、日本の国益になる政策を提案することもあれば、自民党だって、売国政策を打ち出すことがある。政策を見て判断するのが、理性的な国民だが、残念ながら民主主義下の大衆はそれができない。政治家を選ぶ際も、「あの人は人柄が良さそう、誠実そう」だから、投票すると。正直に言おう。誠実な人は政治家になれないのだ。猫をかぶっているだけだろう。

 「誰」を見るのではなく、「何」をみて考えて判断する。それができない日本人はいつまでも、民主主義に翻弄されつづける。

● 民主主義という産業

 民主主義自体が一大産業だ。その下にぶら下がる選挙産業や人権産業は特に規模が大きい。例えば、人権団体NGOの場合、利益を上げないというが、組織運営自体にお金が必要。何と言っても寄付や基金になると、闇の世界。

 スーパーお金持ちはみんな慈善基金をもっている。そういった美辞麗句の組織は軒並み非課税である。税金を取られるよりも政治献金をしたほうが断然有利。政治を操れるからだ。お金持ちのポケットマネーは、税金で国庫に入るのではなく、政治家の金庫に入る。だから、民主主義の政治は、大衆の1票で動くはずがない。

 GDPは往々にして「量」で比較されるが、「質」も見なければならない。中国の場合、製造業がGDPの約40%を占めているのに対して、アメリカのそれがわずか11~12%しかなく、サービス業が80%を占めている。つまり、アメリカのGDPは数字こそ大きいが、実業の割合が低いだけでなく、総量も中国よりはるかに少ない。さらにサービス業という虚業の中に、「民主主義産業」がどのくらいの割合を占めているのか、興味がある。

 私の持論だが、経済は実業によってのみ成り立つ。アメリカを見ればわかる。砲弾の生産能力が全然足りないから、ウクライナが負けるわけだ。冗談を言っているようだが、アメリカが(非核)戦争で中国に勝つための条件は、武器の製造を中国に発注することだ。日米欧西側が絶対に中国とロシアに勝てないのは、サービス産業・虚業経済であるからだ。オフィスにいるホワイトカラーの半分以上は不要だ。エネルギー、農水産業、製造業、ハイテク産業以外は、必要だが、供給過剰だ。日本はサービス業がGDPの4割で十分。

 特に、「民主主義産業」という虚業中の虚業がひどいものだ。

 産業革命――。民主主義という産業は今、革命を必要としている。しかし、産業が隆盛すれば、既得権益がどんどん積み上げられる。どこも共通する現象だが、改革が既得権益の領空侵犯であるだけに、猛反対される。そのうえ、「民主」というキーワードが神聖化し、不可侵の聖域となった。革命どころか、改革すらできない。

 つまり、民主主義はある種の宗教産業になった。民主主義に少しでも反論するだけで、即独裁支持とのレッテルを張られる。言論の自由やら多様性やら民主主義自身の聖典教義すら眼中にない。繰り返しているが、民主主義は独裁権威の一種にすぎない。自由や人権のカモフラージュを施している以上、独裁権威よりも悪質である。

 独裁権威主義も民主主義も「進化」している。独裁権威主義体制では、政権運営妨害(主に民主主義側の攻撃)を除く自由を増やす一方、資本の無制限な政治浸透を規制し、バランス取りの技術が格段に進化し、生産性の顕著な向上を見せた。
 
 民主主義の場合は、ポピュリズムの劇場型政治も資本による政治コントロールも進み、オルテガの「超民主主義」への暴走が加速化し、反比例的な生産性の低下を見せた。

 総じて言えば、二者の生産性格差が縮まりつつある。それが昨今、民主主義が自信喪失し、非民主的手段も含めてあらゆる手段を動員して権威主義を叩き潰そうとしている理由でもある。

 今朝(6月15日)のVOA(ボイス・オブ・アメリカ)では、2本の中国批判趣旨の記事が掲載された――。中国は、アフリカ等途上国に独裁権威主義体制を推奨し、輸出しようとしている、と。

 まず、民主主義体制が独裁権威体制より優れているならば、途上国が自ずと採用してくれるだろう。しかし、残念ながら、ここ30年民主主義の新規導入国はほぼ全数失敗している。最大の失敗例はロシアだ。次に、アメリカは、反省をしない。貧しい国々は投票よりもまず飯が食えること、少し豊かになっていくことだ。中国は史上最大の成功例を世界に示した。真似される、学ばれることは当たり前だ。

 自社に売れない商品を抱え、売れる他社の商品を非難する奴は最低だ。資本主義自由競争市場のクズである。独裁権威主義は、民主主義から学び、民主主義の良いところを取り入れている。一方、民主主義は、独裁権威を全否定し、独裁権威の良さを取り入れることができない。それが民主主義が独裁権威主義に負けている原因だ。

 2400年前に、ギリシャ哲学者のプラトンが既に予言した。民主主義は単なる劇場型政治にすぎない。さらに80年前に、スペイン哲学者のオルテガが、大衆の暴走である超民主主義時代の到来を予言した。いずれも当たっている。独裁権威主義は常に改良を続けているが、民主主義は傲慢な姿勢でガン化するだけ。行きすぎた民主主義の下で、ポピュリズムが全体主義化し、本質的にナチス時代に共通している。

● 中露必勝の原因

 台湾問題は、簡単にまとめると、次のようになる――。台湾の運命を決めるのは、台湾人ではなく、米中である。米中のどちらが決められるかは、米中の経済力・地域軍事力次第だ。米国が勝てば、現状維持可能。中国が勝てば、台湾統一。台湾や日本にとってみれば賭けだ。中国の勝ちであれば、より有利な統一を選ぶのが現実的だ。しかし、台湾島内では、ある程度の痛みが出ない限り、以上の議論ができない。すると、中国は台湾の段階的な苦痛増進を加えるだろう。日本もある程度付き合わざるを得ない。

 中国は必ず台湾統一する。習近平が負けたら、中国共産党政権がもたないし、中国もバラバラになる。プーチンも同じだ。ウクライナ戦争で負けたら、プーチン政権が崩壊し、国家分裂し、プーチン自身も死ぬしかない。「ロシアの存在しない世界は、意味がない」。プーチンは核を使用せず敗北を受け入れることはあり得ない。
 
 一方米国や欧州もこれを理解しないわけがない。だから、彼らの目的はウクライナの「勝敗」ではなく、戦争の「進行」なのだ。当初は、戦争の進行でロシアの弱化を狙ったが、それが失敗した。今は11月の米大統領選挙までウクライナを持たせたいと、それだけの話だ。プーチンもこのカラクリを理解している。今の彼は逆手を取って欧米の体力消耗を狙ってじわじわと戦争を進めている。毒を以て毒を制す。一方、ゼレンスキーも負けたら失脚するので、戦争の継続が必要だ。

 だから、全ての当事者の利害関係は見事に一致しているのだ。ウクライナ国民と欧州国民が一番と二番目の被害者だ。これが民主主義劇場型政治の悲劇だ。台湾もまた然り。中国と戦えば、台湾国民が被害者になるだけ。民主主義国家が戦争に負けても、支配者は痛くも痒くもない。せいぜい落選くらいだ。しかし、権威主義国家が戦争に負けたら、支配者は死と向き合わざるを得ない。背水の陣を敷くものが強い。

 佐藤優氏いわく「国というものは善いとか悪いとかでは測れない」。佐藤氏ほどの賢人が稀有だ。国家や国際政治には、善悪が存在しない。ただ賢愚は存在する。自国の国益にならないことをやったら、愚になる。

 アメリカの場合、金融と軍事は重要だが、工業がないとやはり勝てない。日本は、金融がない。戦前の軍事も戦後の工業も捨てた。今は何一つない。インバウンド、観光立国は案の定、失敗。周辺の核保有国である中国、ロシアと北朝鮮を全て敵に回した。だから、日本も当然勝ち目がない。

 勝ち目がなくとも、負けを認めたくない。「支那」という言葉は、特に蔑称ではない。では、なぜ正式名称の「中国」でなく「支那」という用語をわざわざ使う日本人がいるのか。言ってみれば、日本人のノスタルジックな優位性に浸かりたい。それだけの話ではないか。しかし、「支那」に追い抜かれた現実に目覚めれば、余計そのギャップで情けなくならないか。中国では、「小日本」という日本に対する蔑称はあまり聞かなくなったのは、なぜだろうか?

 上下の位置関係が事実となった以上、あえて品格という次元での高貴性に目を向ける。逆に敗者は自信と余裕と矜持、全てを失ったら、何が残るのか。

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