淤泥不染、われわれは全員悪人であるからこそ・・・

 淤泥不染。蓮の花は真水よりも、 汚れた泥水の中で清らかに育ち、美しく咲く。

 汚れた沼から泥水を抜こうとするトランプは悪戦苦闘している。汚水の中で生きているのは、ヒルやワニだけではない。蓮の花は、泥沼(淤泥)に美しく咲く。それは、汚れの中に身を置き、汚れを知り尽くし、そして汚れから栄養を取り、汚れに対抗する知恵と力を得たからだ。

 親鸞聖人いわく「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」。決して悪人になるよう勧めているわけではない。偽善をやめ、悪を知れといっているのだ。そもそも偽善も悪のうちと思えば、人間は元々悪だった。これは西方教会のアダムとイヴから受け継がれた罪、原罪に通ずるのかもしれない。

 聖人の言われる「悪人」とは、自己の原罪、真実の姿を知らされ、認めた人のことなのだ。仏教は「法鏡」なり、「仏の教えは汝自身を映し出す鏡だ」。すべての人間は一人残らず悪人である。「心常念悪(心常に悪を念じ)、口常言悪(口常に悪を言い)、身常行悪(身常に悪を行じ)、曽無一善(曽て一善無し)」(大無量寿経)。

 仏眼からは、心も、口も、体も、悪ばかりで1つの善もない、そうした人間の実相を喝破された。では、「善人」とは、どんな人かというと、悪しき己を知らず、悪しき己を隠し、悪しき己を善に偽り、善人と自惚れる人のことである。現在の世に横行するポリティカル・コレクトネスは、まさに偽善の仮面を被った真悪、害悪、猛悪、毒悪である。

 淤泥不染。泥沼は汚れた泥沼のままで、浄土に変わることはない。だが、蓮の花は、泥中にありながら、汚されることなく、美しく清しく咲いている。

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