● 政治腐敗から考える企業組織の不正と自動作用
購読中の中国経済紙は、経済紙と銘打ちながら、毎日のトップニュースが腐敗や汚職の摘発、高官の逮捕、党籍の剥奪、議員資格の喪失に関する記事で飾られている。
これほどまでに腐敗が横行しているのかと思わざるを得ない一方で、一党独裁体制にもかかわらず、自党内の粛清に容赦なくメスを入れている姿勢は注目に値する。特に、民主主義諸国がこの姿勢を見習うべき点があるのではないかと考える。野党やメディアによって問題が暴露されるのを待つのではなく、与党内で自発的に不正を暴き出すという行為は、民主主義国家では実現困難であると推測する。

民主主義を「善」、独裁専制を「悪」とするイデオロギー的な先入観を捨て、人間が本能的に財を貪る性質に目を向けるべきではないか。そうすることで、異なる抑制方法を多面的に研究する必要性が浮き彫りになるであろう。善悪という単純な枠組みに囚われず、現実に即した抑制策を模索することが、人間社会における腐敗問題の解決に寄与するのではないかと考える。
企業組織における不正問題もまた然り。人間が集団として活動する以上、不正行為や利己的な行動が発生するのは避けられない。そのため、いかにして自浄作用を発揮し、組織の健全性を保つかが重要である。
多くの企業は、内部告発制度やコンプライアンス部門を設け、不正行為の摘発を促進している。しかし、制度があるだけでは十分ではない。不正行為を暴露した者が報復を受けたり、組織全体が問題を隠蔽しようとしたりする場合も少なくない。この点において、企業のトップや経営陣が自ら進んで問題に取り組む姿勢が求められる。問題が外部に暴かれる前に、内部で不正を明るみに出し、改善に取り組むことが、組織全体の信頼性を高める鍵である。
企業内の不正は、その抑制方法を考える際に、民主主義や独裁的な管理という二元的な枠組みを超えて議論する必要がある。たとえば、独裁的なリーダーシップが効果を発揮する場合もあれば、従業員間での相互監視や協力を通じて抑制する手法が有効な場合もある。重要なのは、組織の特性や文化に応じて適切な自浄メカニズムを構築し、運用することである。
また、人間が本質的に利己的な性質を持つことを認識し、その性質を抑制するための仕組みを多面的に研究することが必要である。たとえば、透明性の確保やインセンティブ設計、不正防止の教育プログラムといった取り組みが挙げられる。さらに、経営陣が自らの行動を率先して透明化し、従業員に対して模範を示すことが、自浄作用の根幹となるであろう。
企業組織が健全であり続けるためには、外部からの監視に頼るのではなく、内部の自浄能力を高めることが不可欠である。不正を容赦なく摘発し、改善へとつなげる姿勢を持つことこそ、企業の持続的成長を支える基盤となるのである。
● 岩屋外相の「台湾有事」否定と石破政権の実利外交
岩屋外相は鳳凰衛視の独占インタビューにおいて、「台湾有事は日本有事」という表現を好まないと明言した。その中で、「『有事』ではない。我々は日中国交正常化時の共同声明の精神を一貫して守り、台湾と大陸の問題は対話を通じて平和的に解決されるべきだと確信している。台湾は『無事』でなければならない」と回答した。
岩屋外相の発言を整理すると、以下の3点が導き出される。「台湾は『無事』でなければならない」「日本は中国の立場と主張を理解し尊重する」「台湾問題は平和的に解決されるべきだ」。これらを総合すると、日本は「中国による台湾の平和統一」を支持する立場を間接的に示唆していると言える。
石破政権の対中対米の外交姿勢には、大きな変化が見られる。従来の「親米抗中」から「親中不従米」へと転換しつつあるように見受けられる。安倍政権以降、日本は親米政策を維持してきたが、米国からの利益はほぼ得られていない。一方では、「抗中」による不利益は多大であった。国益の観点からすれば、イデオロギーに固執せず、実利を優先する石破政権の戦略は正しい選択と言える。変化する国際情勢の中で、実利を重視した柔軟な外交「ジャパン・ファースト」が大事である。
● 韓国や台湾に見る民主主義の崩壊
大統領の戒厳令発布。ーー驚いた。
大統領弾劾。ーーもっと驚いた。
大統領逮捕。ーーさらに驚いた。
大統領逮捕拒否、逮捕失敗。ーー驚いて絶句。
これからは?ーー驚かない。ドラマだということが分かったから。
プラトンが言う「民主主義は劇場型政治」。それが真理だった。
新年早々、台湾野党党首の再収監、そして韓国大統領の逮捕劇。民主主義国家が狂い始めている。特に韓国の状況は深刻だ。「不法警察だ」と叫び、逮捕や捜査を妨害する韓国の暴徒化した民衆。このように国家司法の「不法性」を断罪しようとする彼ら自身が、無法な行動を取る国民そのものではないだろうか。民主主義を抹殺しているのは、まさに「民」である。捜査本部は拘束令状の執行を一時中止したと発表したが、大衆の行動こそが法治国家における反民主主義的な暴挙である。
司法に不正があると主張するのであれば、それは三権分立という民主主義の根幹が崩壊していることを意味する。民主主義の没落は止まらない。民主主義は非常に理想的で素晴らしい制度である。しかし、それを現実に意図どおり実現することはほぼ不可能だ。民主主義には、高い平均的民度が不可欠だからである。自由と権利を享受するだけでなく、それと同等の責任と義務を引き受ける覚悟と行動が欠かせない。しかし、それを大多数の人々が実行することは不可能だ。
自由と権利を訴える政治家は数多くいるが、大衆に責任と義務を語る政治家は1人も見ない。なぜなら、後者は逆立ちしても当選できないからだ。その結果、次々と嘘をつく政治家が登場するのは当然の帰結だ。何も驚くべきことではない。ギリシャの哲人たちは、2400年後の現代をまさに予言していたのである。残念ながら、こうした歴史や哲学に大衆は無関心であり続けている。
この現実と本質を見抜き、民主主義を切り捨てたのが、習近平氏やシンガポールのリー氏一族です。英断である。
政治弾圧の「被害者」ーー。台湾の野党党首柯文哲が収監されたのは、与党や総統による政治弾圧。一方では、韓国の尹錫悦大統領が逮捕されるのは、野党による政治弾圧。と騒がれている。民主主義は確かにすごい。独裁政権は政府対反政権の一方的弾圧だが、民主主義の弾圧は四方八方だ。
特に韓国はすごい。弾圧と反弾圧の戦いで国家機能まで麻痺させてしまう。さすが独裁者の金正恩も真っ青。民主主義国家とは戦えない。というか、戦う必要がない。民主主義国家は自己闘争で弱体化するから、放っておけばいい。習近平も頷く。台湾も自壊中だから、しばらく放置だな、と。
「民主主義が永続する理由はない」。――英国人歴史学者でコロンビア大学教授のマーク・マゾワー氏はこう語る。サステナブルという言葉が全盛の今、最も持続不可能なのは民主主義制度そのものである。SDGsの「D」を「Democracy」に変えるほうが適切ではないかと思えるほどだ。
民主主義が持続可能性の議論にのぼるようになった一方で、独裁権威主義体制は人類の歴史と共にあり、一度も消えたことがない。それこそが永続している体制なのだ。この事実は、何とも皮肉である。さらに懸念すべきなのは、民主主義がその傲慢さを改め、独裁権威体制から学ぼうとしない点だ。
私はかつて、民主主義に疑問を抱きながらも、それが独裁権威主義体制よりも優れていると基本的に信じていた。しかし、2010年頃から「疑問」は「懐疑」、そして「不信」へと変わり始めた。そして2020年、トランプ大統領の落選を境に、私は民主主義を否定する立場へと転じた。このような考え方は、まだ主流とは言えない。しかし、いずれ事実がそれを証明するだろう。いや、既にその兆候は現れている。「えっ、民主主義ってダサい」。もしこのまま進めば、そうした時代が訪れるに違いない。




