大学の講壇に立つこと、学び方を学ぶこと

 今月からマレーシアの大学で実務研修の講義を担当することになった私だが、自分の大学時代を振り返ると、恥ずかしくてたまらない。

 私は遊び好きで、不勉強な青年だった。親に言われるまま、名門校への進学を目指し、2浪2.5留という道のりを経て、ようやく早稲田大学を卒業した。在学中は、新宿や高田馬場で連日飲み歩き、大学の後半になると、バイト先の社長と六本木のキャバクラで豪遊する日々を送っていた。

 大学に合格した際、親から4年間の学費と生活費を一括でもらった。「これでお前の面倒見は終わり。あとは自分で何とかしろ」と言われ、そのお金をわずか6か月ですべて使い果たしてしまった。その後はアルバイトで生活を支えながらも、遊びだけはやめることができなかった。大学で何を学んだのか、今となってはさっぱり思い出せない。

 そんな私も、大学を卒業して働き、独立して事業を始める中で、学識の不足を痛感することになる。ビジネスの時間を割き、事業で稼いだお金を投資して大学院に通い始めた。中国在住中に10年の時間をかけて、2つの修士号と博士号を取得した。その時期は、自らの意思で、自分のお金を使い、本気で学んだ日々だった。

 振り返ってみれば、大学や大学院は社会人になってから通っても遅くはない。むしろその方が、自分の経験や問題意識に基づいて学べるため、より深く身に付くと実感している。

 学歴は重要ではない。人間にとって唯一学ぶべきことは、「学び方を学ぶ」ことだ。学び方さえ身に付けば、学校に通う必要すらなくなり、生涯にわたって学び続けることができる。「学び方を学ぶ」という根本的な力こそが、サバイバル力であり、人間の可能性を広げるパワーである。

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