新年を迎え、西洋人が「Congratulations」ではなく「Happy」で祝うのに対し、日本人は「おめでとう」と表現する文化の違いに改めて興味を覚える。
西洋の「Happy」は、感情の瞬間的な幸福を表すが、日本の「おめでとう」は、そこに一歩深い意味があるように感じる。おめでたいとは何か?お墓に一歩近づいただけで何がめでたいのか?
その答えは、「成熟」という東洋的な価値観にあるのかもしれない。人間は年を重ねるごとに残りの時間が短くなる。これは事実だ。しかし、時間の減少と反比例するように、私たちの成熟度や内面的な深みは増していくべきだ。成長を遂げた人間として、新しい年を迎えるたびに成熟が進むのであれば、それは確かに「おめでとう」と言えるほどのことではないだろうか。
日本文化、そして広く言えば東洋文化の奥深さは、こうした「成熟」や「時間」を大切にするところにある。年齢を重ねること自体が祝福される理由は、私たちが単に生きているだけでなく、より深く生きることを目指しているからだ。
それならば、私自身に問いかけるべきだろう。私はこの1年間でどれだけ成熟できたのだろうか?過去の自分と比べて、どれだけ物事を深く理解し、どれだけ人として成長したのだろうか?
新年とは単なるカレンダーの切り替わりではない。過去を振り返り、自分の成熟度を確認し、新たな一年に何を学び、どう成長するかを考える機会である。それを「おめでとう」と祝うことには深い意味がある。そしてその意味を噛み締めることが、人生をより豊かにする鍵になるのではないだろうか。