上海出張の7泊は、花園飯店(オークラ・ガーデンホテル)に泊まる。上海に何かしらのご縁がある日本人なら、花園飯店を知らない人はいない。もちろん、私にとっては花園飯店は思い出の詰まった場所だった。

花園飯店は、租界時代の旧フレンチクラブを生かして建設され、オークラの運営によるラグジュアリーホテル。80年代後半から90年代初頭にかけては、我が日本はまさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の勢いで途上国だった中国に経済進出し、「君臨」した。花園飯店はその時代の象徴でもあった。

私はロイター通信の駐在員として1994年から上海駐在中に、花園飯店を何度利用したかは数えきれない。さらに2000年独立後に上海で起業した私は、日本企業顧客向けのセミナーも2013年のマレーシア移住まではほとんど花園飯店の会議場を使ってきた。ホテルのフロアーにある段差まで目隠しをされてもわかるほどだった。

フランス租界時代も、日本企業が経済的に「君臨」した時代も、歴史の1ページにすぎない。花園飯店の中を日本人が闊歩するのもセピア色の過去になった。去りし日々の栄光がセンチメンタルな残り香と化したとき、それを嗅ぎつけながら徘徊する私自身も喪家の狗でしかない。

今の花園飯店は、日本人の影がまばらで、ホテルのスタッフいわく「日本人客は1割未満」も嘘ではない。取って代わられたのは、田舎訛りの中国人富裕層の家族客だった。
諸行無常。時代が変わったのだ。