上海(10)~花園飯店の今昔、センチメンタルな残り香

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 上海出張の7泊は、花園飯店(オークラ・ガーデンホテル)に泊まる。上海に何かしらのご縁がある日本人なら、花園飯店を知らない人はいない。もちろん、私にとっては花園飯店は思い出の詰まった場所だった。

2023年3月、上海・花園飯店(オークラ・ガーデンホテル)

 花園飯店は、租界時代の旧フレンチクラブを生かして建設され、オークラの運営によるラグジュアリーホテル。80年代後半から90年代初頭にかけては、我が日本はまさに「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の勢いで途上国だった中国に経済進出し、「君臨」した。花園飯店はその時代の象徴でもあった。

1997年、ロイター通信社上海駐在中、花園飯店で開催されたパーティー、スタッフ集合写真(前列左から1人目)

 私はロイター通信の駐在員として1994年から上海駐在中に、花園飯店を何度利用したかは数えきれない。さらに2000年独立後に上海で起業した私は、日本企業顧客向けのセミナーも2013年のマレーシア移住まではほとんど花園飯店の会議場を使ってきた。ホテルのフロアーにある段差まで目隠しをされてもわかるほどだった。

2013年2月、上海・花園飯店で開催されたセミナー

 フランス租界時代も、日本企業が経済的に「君臨」した時代も、歴史の1ページにすぎない。花園飯店の中を日本人が闊歩するのもセピア色の過去になった。去りし日々の栄光がセンチメンタルな残り香と化したとき、それを嗅ぎつけながら徘徊する私自身も喪家の狗でしかない。

2023年3月、上海・花園飯店滞在中

 今の花園飯店は、日本人の影がまばらで、ホテルのスタッフいわく「日本人客は1割未満」も嘘ではない。取って代わられたのは、田舎訛りの中国人富裕層の家族客だった。

 諸行無常。時代が変わったのだ。

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