名と利そして信条どっち取るか、サザンとピケティの勲章事件で自戒

 フランスの著名な経済学者トマ・ピケティ氏は、フランスの最高勲章、レジオン・ドヌール勲章の受勲候補に選ばれたが、現政権に反発しノミネートを辞退した(1月2日付AFP)。たまたま同じ時期にサザン桑田佳祐氏の紫綬褒章の受章問題、そして反体制と思われる曲目やパフォーマンス、さらに「ケツ勲章事件」が世間を騒がせている。何だか好対照になった。

 芸術家の表現自由は尊重されなければならない。たとえサザンが反体制ないし反日であっても、表現の自由がある。反体制の反骨精神、いわゆるリベラリズム、それが信条や主義であれば、ナショナリズムの象徴とも考えられる褒章とか勲章を辞退せずに受け入れることは、権力への屈服や媚びにならないか。いったん受けたものを再度、自ら覆すということは、自身の人格を否定するほかならない。

 たとえば、こういう場面になったらどうだろう。紅白の現場で、桑田佳祐氏が勲章を出して、「よく考えました。おれの信条とこの勲章はやはり相容れません。だから、勲章を返還して、受賞を辞退します」と宣言する・・・。でも、このような場面はついになかった。

 名利欲に駆られる人はたくさんいるだろう。私自身も「名」と「利」をいただければほしいものだ。ただ、名と利と信条が相容れない、対立面に立った場合はかなり悩まされる。自身の信条や信念、原理原則を貫き通し、どれか、あるいは両方を切り捨てなければならないとなると、それは誰もができることではない。

 他人を批判することは簡単だが、自分自身となるとどうなるか。自戒したいと思う。

コメント: 名と利そして信条どっち取るか、サザンとピケティの勲章事件で自戒

  1. 桑田佳祐さんは、勲章そのものを頂いたとは考えていないのかもしれませんね。税金で作ったものに過ぎないと。桑田佳祐さんであれば、税金もたくさんお支払でしょうし、自分の金を少し返してもらったぐらいに考えている可能性もあります。

    ある人にとって価値のあるものでも、他の人には価値がないばかりか腹立たしい存在になる場合があるというのは、本当にややこしいですね。

  2. 桑田佳祐さんにとって、勲章は名誉ではなく、ネタにすぎないのかもしれませんね。ネタであれば、受け取るのにも躊躇がなく(おいしいものをありがとう)、貶めることにも戸惑いがなく、一貫性にも矛盾が生じないことになります。

    問題の一つは、他の人が崇拝しているものを貶めるという行為がどうかということです。思いやりがないとは言えますね。他人が信じているものを軽率に扱ったり、批判したりすれば、多くの人を怒らせるのは間違いないです。

    貶めることと、批判することは違うという考えもあるが、信じている人からすると同じことだったりする。それこそ、論じることすら、非礼だと考える人もいる。本当に難しい問題です。

    1. 今井さんご指摘の勲章ネタ論であれば、確かに論理的に通じますね。ネタなら何でも歓迎だと。陛下への思いがそれぞれあるのでしょうが、他人から頂いたものに対しせいぜいの敬意を払ってほしいというのはごく自然の気持ちでしょうね。多くの人を怒らせたこと、多くのファンを失ったこと、桑田氏にとっていい教訓になればと思います。

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