「健康第一」は正しいか、大義を疑え常識を複眼的に見つめよ

 世の中、大義名分が一番怖い。というのが私の持論。誰からも反論できない大義はどこが怖いかというと、誰も反論できないから怖いのである。誤謬の成分はいつまでも是正されることなく人を毒し続ける。

 「健康第一」もその一つだ。「健康第一」の問題点を指摘、批判している名郷氏(「『健康第一』は間違っている」 (名郷直樹 著)だが、私から言わせてもらえば、「健康第一」は間違っているのではなく、「健康」の定義が間違っているのである。

 「健康」とは、血圧や血糖値といった計測可能な数字だけではない。見えない数字もたくさん含まれているのだ。名郷氏が指摘するように、目に見える数字を追っかけ、食や酒、煙草などを犠牲にし、「禁欲」を強いられていると幸福度が下がると。ストレスによる別種の健康危害に侵されるリスクも生じると私は理解している。

 治療行為もまた問題だ。名郷氏が挙げた各種のデータによれば、生活習慣病や一部ガン患者もそうだが、積極治療組とそうではない組のサンプル比較調査では、発病率や死亡率は1%未満の僅差しか出ていないという。

 私自身もこの数年、日本の医療に大きな疑問を持ち始め、いろいろと調べている。「健康第一」という大義には、誰もが反論できなかろう。だが、「健康」や「幸福」の定義付けを今一度吟味する必要はあるだろう。
 
 「長生きしたら、病気を治さないという選択肢も有効だ」。さらに、名郷氏のこの一言にたくさんのヒントを得た。私の企業経営コンサル現場でも、見事に通じるものだと思わず膝を打った。

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