共産主義バージョンダウン、社会分断を煽動する輩の真意

 「共産主義のファシズム化という結論の論拠はどこにあるのか」――。とてもいい質問をいただいた。

 しっかり論考して書くと数百ページ以上の書物になる。残念ながら、いますぐに執筆する余裕も予定もない。あえて乱暴に一言でいうなら、成就要素として格差社会の進行、平等を追求する正義説の浸透、手法的には大衆煽動などが挙げられる、ということになる。

 もちろん、これらの要素を精緻に論考するには、多大な時間と労力が必要だ。調べてみると、類似の前作がいずれも20世紀50~70年代と古い文献が多い。なぜかというと、やはりソ連の崩壊や中国の市場経済化などが、共産主義の敗北を示唆する歴史的事実があったからではないだろうか。

 共産主義が地球上で行き詰まって、その実体もほとんど消滅したという通説はそれこそ確固たる通説になっている。それ故、今日において、マルクスや共産主義の研究は進行形よりも、歴史として細々と行われているだけである。だが、私は共産主義が死んだと思っていない。

 格差社会の進行は、共産主義に対する大衆、特に社会底辺の大衆のセンチメンタルな情緒を蘇らせつつある。

 原始共有制から古代奴隷制、中世封建制、そして資本主義、社会主義と来るべき共産主義へと、マルクスとエンゲルスの唯物史観から論じれば、生産力が一定の水準に達すると、新たな生産関係が生まれる。

 しかし、資本主義から社会主義や共産主義への進行途中で、生産力の伸びがむしろ止まってしまった。結果的に「共産主義はやはりダメだ」と資本主義に回帰する。だが、資本主義社会の格差が再度どんどん拡大すると、共産主義をもう一度見直しをしてもいいのではないかと、そういう動きが出てきてもおかしくない。これを「第二次共産主義運動」と名付けよう。

 ただし、第二次共産主義運動は、第一次のそれと比べると、本質的な差がある。第一次共産主義運動では、多くの人は共産主義の将来に希望をもち、資本主義から社会主義や共産主義へのバージョンアップを強く望んでいた。

 ところが、これから出現すると思われる第二次共産主義運動は違う。それは、「資本主義の酷い格差よりも、共産主義の平等がまだマシだ」という社会底辺の絶望感から生まれるバージョンダウン運動である。

 とはいえ、いまどき、堂々と「私は共産主義者だ」と明言、宣言する人は少ない。すると別の形でじわじわと表出するものの、内実は変わらない。共産主義運動の基本は、階級闘争である。プロレタリアートとブルジョワジーという対立する階級の闘争によって、富の再分配が期待される。

 第一次共産主義運動で実証されたように、ある程度富の再分配があったとしても、プロレタリアートが永遠に勝利できない。共産運動の受益者は独裁者や一部の特権階級にほかならないからだ。このメカニズムは第二次共産主義運動でも変わらないだろう。

 さらに状況が悪い。いまはグローバル経済の世界である。いわゆるブルジョワジーの資産は昔のようにそう簡単に分捕られない。不穏の気配を感じれば、資産の逃げ足が速い。あっという間に地球上の安全地帯をめがけて移動する。地球丸ごとが共産化し、新・コミンテルン(共産主義インタナショナル)が世界制覇すれば話は別だが、不可能だろう。

 いまの日本も、「庶民」と「富裕層」の分断が着々と進んでいる。大衆を煽動すれば、得するのは誰か、よく目を凝らして注視したい。

 今年3月22日、政府閣議で共産党について「現在においても破壊活動防止法(破防法)に基づく調査対象団体である」との答弁書を決定し、答弁書では、共産党が「暴力革命の方針」を継続しているとの認識も示した。これは何を意味するか、よく考えよう。

 もっとも懸念すべきは、共産党の暴力革命そのものでもなければ、共産主義それ自体の理念でもない。日本社会の分断に狙いを定めた輩である。「庶民の感覚」や「庶民の味方」と叫び、そしてリベラルなどの美名をつけては、共産主義者か似非共産主義者が暗躍していないか。

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コメント: 共産主義バージョンダウン、社会分断を煽動する輩の真意

  1. 非常に興味深く読みました。私も今の分断工作は
    しっかり画策されたものであると分析してます。
    大きなポイントは通常マルクス主義では
    富裕層、貧乏人と分け対立プロパガンダを行うわけですがそこには国家という中間搾取を行う人らがおります。共産党の欺瞞は貧乏人は金持ちから搾取するとは言いますが彼らが税により国家により搾取されてるとは言わない面白さがあります。
    またじゃあ自民はというと保守とは名ばかりで
    そのやり方は国家社会主義です。私は最高税率ですが
    住民税と合わせると合計55パー取られますがその所得税アップという 富の再分配、というマルキシズムを
    保守を自称する政党が行い増税されてます。
    所得税45.住民税10ですね
    事業者だから消費税も別にです。

    私にとっては自民は政策だけ見ればこれまた共産主義を感じます。日本ではおそらく本当の保守政党はない、と思います。

    大きくいえばこの対立構造は仕組まれているように見えます。ちなみに日本は資本主義ではないですね。
    資本主義では公的部門と私的企業が分離してまして
    日本の場合は公的部門が私的企業を管理管轄しますから
    あり方としては社会主義と封建制ベースの中に
    前期資本主義が入ってる社会システムと私は見ます。

    私もマレーシアに行く身ですが、やはり社会主義なので日本は衰退不可欠だと思います。
    その前におっしゃる社会主義革命なり共産主義なり

    表向きは自由民主主義を言いながらあるかもしれないと思います。

    また共産党がそもそも資本主義自体
    社会主義であった日本にはないのに
    あったことがないのに

    資本主義の終焉を言うのは何とも考えさせられます。
    公的部門が私的企業を管轄して所有権が曖昧な資本主義というのは成り立ちませんよね。

    が、大衆はそこに引き付けられますから、
    多数決型民主主義は 資本主義精神のない日本ではまだ
    早いのだろうという気もします。

    私もアジアよく滞在してるのですが
    個人はアジアに避難するしかないと感じます。
    私も先生と同大でおっしゃる点がよくわかりますが
    今の日本ではこの分断工作についての
    警鐘が無視されてる点が問題ですね。

    おそらく本当であるから無視されるのでしょう。

  2. なんのかんのと言っても、庶民にどんな生活をさせられるかですよね。

    もし庶民の60%が、ワーキングプアになって、一日12時間働いても食べるのやっと、結婚もできない、結婚しても子供を満足に食べされられないとなったら、いくら立花先生のような立派な方が、「国に何をしてもらうかではなく、自分たちが国に何をできるかだ!」と一生懸命叫んでも、庶民の耳には届かないことでしょう。ファシズムは駄目、共産党も駄目、社会主義も駄目と百万遍唱えても無駄でしょうね。

    結局のところ、資本家側が何らかの妥協をして労働者側の配分を高めてやるしかないのではないでしょうか。

    実際、歴史的にも、ソ連が調子が良かった頃は政府は共産党の弾圧をしながらも、労働者の待遇が大幅に改善されたようです。そうでなければ庶民を抑えきれなかったのだろうと思われます。

    もちろん、法のもとで軍隊や警察力を使って抑え込むことも可能でしょうが、それこそ民主主義→ファシズムになってしまいますね。

    1.  仰るとおりです。ただ、資本家に妥協を期待しないほうがいいですよ。労働者側への配分の引き上げは、労働生産性とにらめっこしているわけですから。これから移民政策が日本に導入されると、それこそ低賃金の外国人が日本に押し寄せ、さらに日本人が困窮に追い込まれます。軍や警察の動員などそんな野蛮なことはしません。

       グローバル経済は諸刃の剣、弱肉弱食の側面が大きい。さらに、そこそこ収入のよいホワイトカラーも安泰ではない、人工知能が今後飛躍的に成長し、仕事を奪います。結局、いわゆる庶民は利用されるだけで、共産主義でなんら改善もされません。資本を海外に逃がすだけ、最終的に税収も失われる。

       歴史は変えられません。「庶民にどんな生活をさせられるか」といっても、経済発展の停滞もあって、政治家も何党だろうと私利私欲から逃げられません。だから、一般人は、「自分たちが国に何をできるか」よりも、まず「自分に何ができるか」を考えたほうがいいでしょう。

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