越南と南越、「王・皇」の関係と友好の本質

 ベトナムは、元々「ベトナム(越南)」でなく、「ナムベト(南越)」という国名であった。中国の皇帝はどうもそれが気に食わないというので、「ベトナム」に改めせざるを得なかった。

 国名よりも、ベトナムは「国王」でなく、「皇帝」称呼を使っていたこと、中国はそれが一番気に食わなかっただろう。先日、フエの阮朝王宮見学時に、展示物に見付けた文書(恐らく皇帝印の調製公告のような文書)にも堂々と「大南皇帝」と記されていた。

 「ベトナム国王」に改めるよう中国がベトナムに再三圧力をかけたにもかかわらず、ベトナムは一応明言拒否を避けながらも、面従腹背の姿勢を変えず、「皇帝」称呼に徹していたようだ。

 中華中心の朝貢制度の下で、「皇帝」の唯一性は中国にとって譲れない一線だった。周辺属国に「王」がいてもよいが、「皇」は許されない。皇帝は「天子」であって、天から託され、世界の中心に存する唯一の最高権力だったからだ。そこで、日本に「天」を戴く「皇」たる「天皇」が存在することは、中国にとってもはやベトナム以上のタブーになっていたに違いない。

 天が広くても1つしかない。同じ天を戴く複数の「皇」が存してはならぬ。それこそ、漢語成語の「不共戴天」があるように、同じ天を共に戴くのは敵にほかならない。という歴史の経緯を見れば、日中関係も、越中関係も今日にいたって抜本的な改善がないことも理にかなっているといえる。

 中国が考えている隣国との友好関係も、基本的に上下の位置付けを明確にしたうえでの平和親善に過ぎない。対等の友好関係を勝手に思い込んで中国と付き合おうとする日本よりも、物事の本質を見抜いて長きに渡って中国と渡り合ってきたベトナムの方が一枚上手だったように思えてならない。

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