南部アフリカ紀行(14)~オシワンボーチキン、骨折しない鶏の強さ

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 「オシワンボーチキン(Oshiwambo Chicken)」というナミビア料理に関して、ネット検索しても日本語情報は皆無だ(もしどなたかが見つけたら是非ご教示ください)。しかし、これが日本人の味覚に高度な適合性を有するアフリカ料理の1つであろう。私独自の情報サーチを総合し、自分の感覚的な部分をも加味して以下まとめてみることにする。

 結論からいうと、「オシワンボーチキン」はおそらくもっとも単純かつ複雑な料理である。「単純」というのは、決まったレシピがなく、自由に調理できるからだ。「複雑」というのは、自由調理だからこそ、原理を理解しないとできないからだ。いわゆる「オシワンボー原理」を徹底的に理解したうえで、独自のレシピを創出することだ。

 まずは名前から糸口を探してみよう。「オシワンボーチキン」とは欧米人の解釈だろうけれど、英語では「マラソンチキン」や「アスリートチキン」とも呼ばれている。スポーツ感覚満点の名称から分かることはたった1つ。素材の鶏は、野生に近い状態で飼育しなければならないことだ。

 言っておくが、日本でいう「地鶏」の概念ではない。日本農林規格(JAS)における「地鶏」とは、平飼いで1平米当たり10羽以下で飼育しなければならないとなっているようだが、そんなところではない。ブロイラーより少々飼育密度が低いだけでは話にならない。そもそも「平飼い」とは何か。鶏舎内、または屋外において、鶏が床面(地面)を自由に運動できるようにして飼育する方法というだけに、アフリカの鶏とは根本的な原点が異なる。

 野生動物の一種として、鶏の位置付けを捉えたい。アスリート的にマラソンできるような環境で育つ鶏とはどのような鶏なのか。残念ながら日本などの先進国にいる人には知る機会があるまい。「オシワンボーチキン」の素材となる鶏だが、勝手ながら私は「準野生鶏」と名付けたい。

 準野生鶏には必要不可欠な3要素が課せられている――。1、完全に自由行動(free roaming)ができること。2、「社会的独立性」を有していること。3、ほぼ完全な雑食性であること。

 準野生鶏はとにかく強い。その体現は骨である。骨が強くて変形や断裂などはしない。たとえ車に衝突されても骨折しないというほど強い。「骨太」というが、太くて強いのが当たり前。単なる量の積み上げによる強度向上にすぎない。しかし、細くても強いのは本当の強さなのである。ここまでいったら、なるほど準野生鶏のアスリート性には納得するだろう。

 次にソースの話になるが、前述のとおり百人いれば百通りの味ということで、独自レシピの領域である。基本的に南部アフリカ特産のマルラオイル(Marula Oil)をベースに、トマトとオニオン仕立てのソースになっている。ただし、ハーブ類やガーリック、乾燥唐辛子といった強烈なフレーバーを一切加味することなく、あくまでも素材の鶏に最大の敬意を払って、これをシンプルにいただくのが趣旨である。

鶏レバー料理も絶品

 私がナミビアの首都ウィントフックで食したオシワンボーチキンは、非常に薄口のソースでほんの味付け程度のものだった。端的にいえば、ソースがなくても十分に美味しくいただける。日本人なら、醤油や天然塩といったシンプルな味付けに変えても全然問題ないし、それこそ百通りや千通りのレシピがあっていい。

 最後に、オシワンボーチキンの食べ方について述べておきたい。それはフォークやナイフといった食器を一切使わずに、手づかみで食べるのである。レストランではウェイトレスが食前と食後に二度フィンガーボールをサーブし、手の洗浄を行う。

 ナミビアではとっくに手食文化が定着しているわけでなく、この鶏料理に限って手づかみで食べるのなら、それなりの理由があるだろう。いうまでもなく骨の隅々までしゃぶり尽くすには食器では無理。手づかみして360度回転しながら、肉やゼラチン質、血管など鶏のすべての組織を人間の咀嚼機能が及ぶ限りしゃぶり尽くするのである。

 自然の賜物をひとつ無駄なくすべて有り難くいただくのは、自然に対する畏怖と敬意の発露であって、それがアフリカ流なのであろう。私も手づかみで鶏をいただいた。10本の指で感じたのは、味覚や嗅覚を超えたものだった。それが自然や命の強さ、そして強さに対する永遠の憧れや意志である。

 ありがとう。アフリカ。

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