【Wedge】南シナ海の風雲と日本人の安全~日本大使館・駐マレーシア防衛駐在官 溝上氏講演所感

 2月20日、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)主催の勉強会では、日本大使館・駐マレーシア防衛駐在官の溝上学氏が「南シナ海における中国の活動」と題した講演を行った。めったにない機会なので、早速参加を申し込んだ。

 センシティブ・イシューも含まれるだけに、溝上氏は「公開情報をベースに講演する」と断ったうえで1時間弱の話をした。それにもかかわらず、性質上「この場限りの話」もあろうということで、本稿ではストレートな総括をする立場にない。あくまでも個人的な見解や感想を述べるまでとする。

● 中国人向けのベトナム査証

 半世紀以上に亘り中国による南シナ海への進出は着々と進んできた。時系列に沿って中国の「進出史」を写真付きできれいにまとめた資料を目の当たりにして、衝撃を受けずにいられない。

 特に1974年に行われた中越の西沙諸島の戦いを見ていると、あの頃はまだ対戦できる状態だったものの、いまはベトナムだけでなく東南アジア諸国は中国と対戦できるほどの戦力をまったく持ちあわせていないことが分かる。

 一昨年、会社の中国人スタッフがベトナム出張に行くときにはじめて知ったことだが、中国人の所持する旅券(パスポート)タイプによって、ベトナム政府は異なるビザを交付しているのだ。

 旧型旅券には、従来通りのビザ・シールが直接貼付されるが、新型旅券の場合、シール型でもスタンプ型でもなく、別紙ビザが交付され、出入国の際もその別紙にスタンプが押印されるのだ。旅券本体には一切タッチせず、出入国の痕跡すら残らない。

中国の新型旅券とベトナム査証(写真:筆者提供)

 原因は、中国発行の新型旅券8頁目の査証欄に印刷されている南シナ海の「九段線」だった(写真のボールペンが指す方向)。1953年から中国が南シナ海全域にわたる主権を主張するために地図上に引いている破線である。断続する9つの線の連なりにより示される。ただし、ベトナムはこれを認めていない。この「九段線」が問題となり、それが印刷されている査証欄だけでなく、旅券全体へのビザ貼付と出入国押印をベトナム政府が拒否したのだった。そこで考案されたのは、別紙ビザの発行だった。

 軍事力では到底中国と対戦する立場にないものの、ベトナムは決して負けておらず、様々な場面で主張や戦う意思を示しているのだ。一方、実力という意味で、中国を牽制できる唯一のパワーは米国にほかならない。

● 日本人の安全を誰が守るのか?

 そんな米国はこれまで世界規模の対テロリスト戦争に巻き込まれてきたが、ついにトランプ米大統領は決断した。昨年末の米軍シリア撤退決定をはじめ、中東やアフガニスタンから米軍を次々と引上げようとしている。(参照:米軍のシリア撤退でいちばん困るのは誰か?

 ビジネスマン出身のトランプ氏は経営学に精通している。「選択と集中」の原理に則して、米国の主たる敵はテロリストではなく、中国であることを明確にし、軍事力を含めて資源をインド太平洋地域に集中投下しようとしているわけだ。いうまでもなく、南シナ海問題は1つのメインテーマになる。

 講演会の終わりに行われた質疑応答の部分では、「シーレーン、ひいては日本の国益、日本国民の安全を日本政府がどう守ってくれるのか」といった趣旨の質問が複数提起された。これは多くの日本人の関心所在である。しかし残念ながら、これらの質問はいずれも一防衛駐在官が答えられる質問ではない。結局のところ、日本の政治は果たして日本の国益や日本国民の安全を実質的に守ってくれているのかという本質的な問題(疑問)に突き当たる。

 自衛隊の法的地位すらあやふやな状況である。9条改正以前の問題で、日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」の文言には、論理的にも多くの疑問がつきまとう。

「平和を愛する諸国民」とは誰のことか? その諸国民を代表する国家は本当に存在しているのか? 「公正と信義」と「利益」はどっちが優先か? 「信頼して」も裏切られたらどうするか? ひいては自国民の「安全と生存」を他者の意思に委ねていいのか?

 公正と信義を信頼してすべての問題が解決できるのなら、法律は存在する意義を失う。法律そのものは性悪説の産物とまでいかなくとも、性悪説を1つの仮説として、公正と信義が実現できない場合の救済措置を具現化するものである。法律の立法前提から他者の悪意を排除し、あるいは他者の善意を前提とするのなら、法律は法律でなくなり、宗教のバイブルと化する。

 法律は理想主義の善や美を否定するものではない。理想主義の善や美を実現するには、現実主義の悪や醜が欠かせない。「必要悪」や「必要醜」に裏付けられる「真」であり、その「真」があっての「善」と「美」である。これは「真・善・美」の相互関係ではないだろうか。

 憲法のこのくだりの問題は、もはや左右の問題ではない。生きるか死ぬかの問題である。しかし、この問題をいまだに実質的な議論に付することすらできていない。平和ボケの一線を超えていると言わざるを得ない。改憲を主たるアジェンダとする安倍政権をみても、最近動きが鈍くなってきている。懸念せずにいられない。

● 危険を10年や20年後に先送りしていいか?

 講演会が終ったところで、いくつかの実務的な問いが浮上した――。

 まずは、米軍の艦艇や航空機が南シナ海の中国領とされる人工島・岩礁周辺12カイリに進入した場合、中国軍はどのような反応をしてきたか? これからはまたどのような反応をしそうか?

 さらに、これを含めて何らかの偶発的な衝突で、米中の局所的な戦闘に発展する可能性はあるか? 中国が南シナ海の上空に防空識別圏を設けたうえで戦時宣告を行った場合、日本やアジア諸国の一般市民や企業のビジネス活動にどのような影響が出るのか?

 思うに、中国が対米戦に堪えられるだけの実力を備えるまで、あと10年から20年はかかるだろう。しかし、これらの質問に答えを出すのに10年ないし20年もかける余裕はあるのか? われわれはこれだけの危険を承知のうえで、次の世代に先送りすることは許されるのか?

 と、一人ひとりの日本人に、胸に手を当てて自問してもらいたい。こういった具体論は公の場で明言できないものの、実は日本政府がすでに着々と手を打っているという状況であってほしい。そう願うばかりだ。

 末筆ながら、日々命をかけてわれわれ日本国民の安全を守ってくれている自衛隊の皆様に、心から最大の敬意を表したい。「われらの安全と生存」を守ってくれているのは決して、「諸国民の公正と信義」ではない、自衛隊なのである。

タグ: