【Wedge】トランプを読み解く(3)~米軍のシリア撤退でいちばん困るのは誰か?

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 シリアからの米軍撤退をトランプ大統領が決断した。大方の識者はこれを批判している。衝撃のあまり、厳しく批判し、憤慨している人も大勢いる。識者の見解だけに根拠はしっかりしているし、問題点の指摘も明快。どの記事を読んでも納得させられる。ただ1つだけ、そのほとんどは評論家の目線で諸問題を捉えている。当のトランプ氏本人の立ち位置や目線とはどんなものか、大変気になるところだ。2つの論点に分けて考えてみたいと思う。

● 公約と現実のギャップ

 シリアからの米軍撤退は、トランプ氏の公約だった。まず、1つ目の論点は、公約と現実のギャップをどう処理するかという実務問題の扱い方から入りたい。

 時間軸を遡ってトランプ氏が大統領に当選したときのことを思い出したい(参照:ずけずけ言う男、トランプ流の選挙マーケティング)。トランプ氏の当選それ自体がまず、予想を外した多くのメディアや識者にとってある種のショックだった。当選の事実を前に、彼らは今度こう語った。「トランプの過激な言説や公約は、選挙のためのものだ。いざ大統領の座についたら豹変するかもしれない。少なくとも、言っていたことを全部やらないだろう」。

 希望的観測だった。残念ながら、またまた予想に反して、トランプ氏はその公約をほとんど果たしてきたのではないか。メディアや識者、いわゆるエリートたちは、理性的に物事を考え、非常に合理性のある結論(予想)を出す。しかし、トランプ氏はこの論理的な文脈を踏まないのである。さらに、トランプ氏の言説は内実だけでなく、その表現や言葉遣いも非常に乱暴で決して格調高きものではない。この辺もエリート層の作法を踏み外している。故に、エリートたちは本能的にトランプ氏にある種の拒絶反応を起こすのである。

 にもかかわらず、トランプ氏はしっかり公約を果たしてきた。1つだけ、中国の為替操作国認定、人民元をめぐり中国と戦う姿勢を選挙公約で示してきたが、それが果たされていなかった。その代わりにトランプ氏はより大きなスケールで中国に貿易戦争を仕掛けた。選挙中の公約をこれだけ誠実にしかも、額面通りに実行する政治家は稀有な存在である。

 公約をすべて誠実に守り、果たしていくことは正しいことだ。しかし、原初的な民意を反映した公約と現実との間にはしばしばギャップが生じる。この場合はどうするかという実務問題が横たわっている。エリートたちの考えはおそらく、理性と知性に基づき、民意に修正を加えることであろう。つまり、「大統領の座についてからの豹変」という合理性が期待されていたのである。

● トランプとリー・クアンユーの違い

 しかし、トランプ氏は「豹変」しなかった。愚直に公約を果たそうとしたのだった。実はトランプ氏はひそかにこう考えていたのかもしれない――。公約はとにかく守る。やってみて失敗した場合は、「申し訳ない。国民の皆さんの意思は通らなかった。私は皆さんの望む通りの事をやったけれど、残念ながら、現実は厳しい。改めなければならない」とこの調子で通す。

 つまり、民意というのは私利私欲(個益)の総和なのだ。国民に現実の「壁」を知ってもらうために、ある種の検証が欠かせないからだ。アメリカ合衆国株式会社の株主は国民だ。株主からこうやれああやれと言われても、無茶なことはできないので、社長が勝手に株主の意思を修正していいかどうか、これは非常にシビアな問題だ。

 言ってみれば、「実体」と「手続」の関係である。有言実行という「手続」を踏んでたとえその結果が「実体」の失敗であっても、それは民主主義のコストである。民主主義の本質的な価値は、「実体」にではなく、「手続」にある。

 トランプ大統領の言行はエリート層の作法を踏み外しているだけに、理解に苦しむ人が多い。ここで、トランプ氏とシンガポールの初代首相リー・クアンユー氏(故人)を比較すると分かりやすい――。

 リー・クアンユーは「シンガポール国民の皆さん、政府のエリートたちは最善を考えてやるから、みんな黙ってついてこい」という姿勢だったのに対して、トランプ氏は「アメリカ国民の皆さん、みんなの考えや意志が最悪であっても、政府はその通りにやるから、エリートたちは黙れ」といったところではないだろうか。

● なぜメディアを敵に回すのか?

 もう少し話が逸れる。トランプ氏は大統領就任後、ホワイトハウス記者会が毎年春に開催する恒例の夕食会を2回連続欠席していた。さらに「フェイクニュース」を連呼したり、記者を「出入禁止」にしたり、ずいぶん乱暴なことをしてきた。なぜメディアと対立するのか。メディアを敵に回して大統領には勝ち目があるのか。これを解明するには、2つの本質的な矛盾に着目する必要がある。

 1つ目は、メディアと民主主義の矛盾。

 メディアといえば民主主義の象徴といってよい。では、メディアと民主主義とはどこが矛盾なのか。それよりも、民主主義制度のもとで国民に選ばれた大統領であるトランプ氏は、なぜメディアから批判・攻撃を受けなければならないのか、という疑問がある。

 ある意味で国民に選ばれたトランプ氏を馬鹿にすることは、つまり国民の意思を馬鹿にすることでもある。エリート層が主宰するメディアはそもそも民意をどう捉えているのか。

 大多数の国民は決して国家単位の共同体利益を総合的に考慮できるほどの賢人ではない。よって、その国民の意思を積み上げる政治は現実的ではない。政治家は理性と知性をもって民意の修正をしなくてはならない。そうした作業を行わずに、単純なる民意の集結だけでは、国家運営がうまくいくはずがない。そういう馬鹿なことをやる大統領は馬鹿だと、エリート層のメディアは批判する。

 民主主義の産物であるメディアは、いざ知識人で構成されるエリート層に掌握されると、素朴な民衆に対して直ちに上からの目線を取るのだ。

● 民衆を馬鹿にする民主主義のパラドックス

 2つ目は、ポピュリズムと民主主義の矛盾。

 ポピュリズム、民意迎合というのは常に批判される対象となる。民主主義の本旨は民意の政治への反映であれば、民意迎合のどこがおかしいのか。むしろあってしかるべきだ。ポピュリズムの汚名をトランプ氏に押し付ける裏側には、民意の非理性・不合理性に対する否定が見え隠れする。

 そもそも、「ポピュリズム」とは何か。それは、エリート層の思惑通りに、あるいは筋書き通りに民衆が動かない現象に対する不満、苛立ちと批判の表れにほかならない。エリート層は自らの民衆に対する影響力の脆弱さを反省せずに、民衆を馬鹿にし、民衆を軽蔑し、あるいは民衆に責任を転嫁する。そうした意味が込められているのだ。

「誰よりも民衆を愛した君は、誰よりも民衆を軽蔑した君だ」という芥川龍之介の名言を思い出せば、納得する。

 トランプ氏は内心でどう考えているのか。「何が民意だ。そんな無茶なことはうまくいくはずがない。あっそ、それでも言うなら、この俺がやってやろうじゃないか。失敗したら民意が悪い、民衆の責任だ。成功したらオレ様の功績だからな。やってやろうじゃないか」と、それはまったく私の邪推だけれど。

 こうした錯綜する関係を整理してみると、メカニズムはなんとなく見えてくる。

● 選択と集中、全体最適と局所最適

 いよいよ2つ目の論点に入りたい。

 シリアからの米軍撤退。トランプ氏の長年の公約だった。多くの人、特にエリート層が驚いた。トランプ氏は「私が長年主張してきたことで、驚くことではない」とツイートした。「ISの敵はロシアやシリア、イランなどだ」と指摘した上で、「アメリカはこれらの国々のためにコストを負担してきた。米国民の生命を犠牲にし、何兆という巨額の金を払いながらも、感謝されたことはほぼない。見返りのないまま中東での警察官の役割を続けたいだろうか」と訴えた。トランプ氏の論理からすれば、この発言は紛れもなく彼の真意だった。

 メディアや識者、いわゆる理性的なエリート層は反論する。その論点は主に2つある――。1つは、「IS戦闘員は現在も一部残っているため、復活するかもしれない」。もう1つは、「米軍撤退でロシアとイランが現地で影響力を強めるかもしれない」。これらはすべて理性に基づく合理的な推論である。にもかかわらず、トランプ氏は一蹴した。

 経営者的な目線からすると、「ISは果たして物理的に完全撲滅することは可能か?」「全滅のベンチマークとは何か?」「全滅させるにはあとどのくらいの時間とコストがかかるのか?」「もしISが全滅しなかったらどうするか?」「仮にISが全滅したとしても、ロシアとイランの勢力拡張を抑止することができるのか、またそれはどのくらいの時間とコストがかかるのか?」。この一連の問いに回答することが不可能だ。すると、経営者ならば、総括して1つの質問に集約するだろう。それは、「シリア撤退によってどんな不利益があるか」である。

 そもそも論になるが、これからの中東は米国にとってどのような意味をもつのだろうか。かつての米国にとって極めて重要度の高かった中東だが、米国発のシェール革命で一挙にその戦略的意義が失われた。そこで米国が中東から手を引いた後に、中東が仮に群雄割拠の時代に突入したとしても、即座に米国に大きな危険が及ぶことはない。逆に中東に居残ったほうがコストもかかるし、リスクも高いといえる。

 米国が中東との関係を切れば、むしろISあるいは別の形でイスラム教に絡んだテロリストとの敵対関係は薄れ、少なくとも米本土がテロ襲撃を受ける確率も減少するだろうと、トランプ氏はそう読んでいたのではないか。

 それよりも、いま米国にとっての主たる敵は中国である。中東での投入を削減し、リソースを対中決戦にシフトすることは、まさに「選択と集中」の原則にも合致する。経営者としての考え方ではあるが。

 はっきり言えば、「米兵の命と莫大なコストをかけて、これから何年頑張っても確固たる勝利の目処が立たないシリアで戦う」か、それとも「1~2年で、少々の経済的影響で巨大パワー中国を完敗させる」か、このような選択肢に直面するトランプ氏は、経営者的な決断を下したのである――。「原油の中東」、その存在意義が薄れた。正直どうでもいいのだ。それよりも主たる敵の中国潰しに資源を集中投下する。

 少々乱暴ではあるが、財務的に言えば、中東での投入は物理的な戦場があっての固定費である。これに対して、対中貿易戦争はバーチャル戦場故の変動費なのである。長期にわたる固定費負担よりも中期的な変動費がはるかに経営上の健全性を有しているからだ。さらに何よりも一番大切なことは、後者の貿易戦争は基本的に命にかかわるものではないことだ。

 エリートたちの中東地域についての分析は正しいと思われる。ただトランプ氏はこれを「局所最適」と捉えていたのかもしれない。全体最適と局所最適のバランスが大切だが、トランプ氏は最終的に躊躇なく全体最適の選択肢を取ったのではないかと、そう思えてならない。

 最後に触れておきたいのはマティス国防長官。彼は実に優秀な軍人だ。軍人は友軍や戦友を見捨てて戦場を去るわけにはいかない。使命感と仁義は「理」と「情」の結合であるのに対して、トランプ氏は徹底的な合理性という「理」と「利」に価値を置いた。軍人と政治家、そして経営者、という異なる世界の狭間で苦渋の決断を迫られた彼の姿には、宿命的なものがあった。マティス氏がトランプ政権から去ることは誠に残念だ。

 米中関係にあたってマティス氏はバランサー役、ときにはブレーキ役を引き受けてきた。彼が去ったことによって、トランプ政権の対中姿勢がより強硬になる可能性が高まった。さらに中東から引き揚げられた資源は、米中貿易戦争に集中投下されると、一番困る人は習近平氏にほかならない。

<次回>

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