【Wedge】香港の財閥地主を新たな敵に仕立てる中国政府の狙い ~「李嘉誠たち」に責任あるのか?香港騒動の展開

● 李嘉誠はなぜ中国の建国記念式典に参加しないのか?

 香港経済界のドン、屈指の富豪でもある李嘉誠氏はなんと、このたびの中国建国70周年記念式典の招待を辞退した。9月30日付けの香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストが報じた。

 李嘉誠氏はビジネスだけでなく、政治にも長けているいわゆる政商である。中国との関係はすこぶる良かった。しかし、2013年を境に彼は中国と距離を置き始めた。同年10月、李氏は建設中の上海陸家嘴東方匯経中心(OFC)を90億香港ドルで売却し、早々と中国撤退に取りかかった(参照:『香港大富豪の「中国撤退」がついに終盤戦へ』)。

 以降、李氏は中国本土や香港の資産を次々と処分し、ついに今年(2019年)前半、傘下の長江和記実業(CKハチソンホールディングス)が上海で所有していた最後の大型物件「高尚領域」(200億人民元規模)も売却し、中国撤退をほぼ完了させ、中国からフェードアウトしたのである(参照:『「中国撤退」はもはや時代の流れ』)。

 あのアメリカでさえ、中国にさんざん利用されてきたと、トランプ大統領が認めたように、世の中、大方が中国に利用されても、逆手に取って中国を利用する者はそう多くない。李氏は後者の1人であるといっても過言ではない。したたかというよりも、狡猾な戦略家だった。絶妙なタイミングで儲け逃げし、しかも逃げ切った彼はもはや中国の顔色を伺う必要はなくなった。

 せいぜいそこで黙っていればいいのだが、彼は黙っていない。このたびの香港デモに関して現地紙にでかでかと新聞広告を出しながら、デモに参加する若者に対して「寛大な態度で対処してほしい」と呼びかけた。それは中国当局の怒りを買わないはずがない。中国共産党中央政法委員会は名指しで、李氏が「犯罪を放任している」と非難した(9月14日付け香港明報新聞網)。

 政法委員会は、香港騒動、若者たちの怒りの根本的な原因は住宅価格の高騰や経済的格差の拡大と固定化にあるとし、「香港不動産価格の高騰で誰が大儲けしているのか、土地を買いだめしてきた李氏のような地上げ屋ではないか」と批判のトーンを上げた。

 土地で大儲けしておきながら、今さら善人を装って卑怯極まりない偽善者ではないか。人民日報も9月12日、評論記事を掲載し、香港の住宅問題が日増しに深刻化していると指摘した。記事は「これが、若者が将来に失望し、騒動に加わった原因だ」とし、不動産企業が土地の買いだめをやめるよう呼びかけ、「これこそが、香港の若者に対する寛大な態度である」と暗に李嘉誠氏を批判した。

 これだけバッシングを浴びた李氏もさすがに建国記念式典に出られるような状態ではないだろう。いずれにしても中国から逃げ切ったのだから、中国との関係はもうどうでもいいのだ。さらにいえば、米中の戦いで敗色濃厚となった中国とは一定の距離を置いたほうが都合がいいとでも、狡猾な李氏が考えたのかもしれない。

● 階級闘争の再来か、香港騒動の責任を取れ!

 香港騒動に誰かが責任を取らなければならない。民主化運動とかいっても、発端はそもそも住宅を買えず、将来に失望した若者たちの怒りだったのである。ならば、土地を買いだめして大儲けした連中に責任を取ってもらうのが妥当だろう。それはつまり土地を大量保有する資産家や地主から、土地を取り上げ、廉価な公営住宅を建設し、若者たちの住宅問題を解決するという発想である。

 「闘地主」という中国で流行っている有名なトランプゲームがある。「地主と闘う」というのは、共産党が農民と地主の階級闘争を煽り、土地を地主から取り上げ、農民に配分する、いわゆる「土地改革運動」に起源する。

 1950年中国が建国した当初、共産党政権は土地改革法を制定し、土地、役畜、農具、余分の穀物および農村に所有する余分の家屋を地主から没収し、耕作主義に基づき農民に配分するとの政策を打ち出した。表向きは富の再配分だが、内実は貧困層や弱者のルサンチマンと闘争心を煽るものであった。

 中国共産党のバイブルであるマルクス主義の唯物史観は、労働者階級と資本家階級の分断による階級闘争を中核としていた。マルクス主義の良き実践者である毛沢東も、農民に対し「地主・富農・中農・貧農」と細かく階層を設け、対立・分断を図った。しかし一方では、毛沢東がいざ政権を掌握し、被支配者から支配者に転じた途端に、今度は被支配者となった広義的人民(労働者階級)に対し、分断統治をはじめた。彼は「人民内部矛盾」という概念をでっち上げ、これを拡大解釈し、敵対勢力を「敵我矛盾」として位置付け、人民の力を動員して打倒に乗り出す手法を使った。文化大革命はまさにその好例である。

 話を戻そう。いまの香港人が民主化を求めるという意味では、中国共産党政権との対立が下手すると、「敵我矛盾」に転化してしまうから、それは大変危険である。すると、香港人民のために仮想敵を立て、新たな矛盾(対立)を作り出し、階級闘争の構図を仕立てる必要がある。この文脈からいくと、「闘地主」という結論にたどり着く。

 整理すると、こういうことである――。

 李嘉誠氏のような香港の資産家や企業家、地主たちが香港の土地を買いだめし、大儲けしている一方、不動産価格をどんどん押し上げ、ついに若者たちが逆立ちしてもうさぎの小屋すら買えない惨めな立場に置かれるようになった。その怒りがたまたま、逃亡犯条例という引き金で爆発し、今日の大騒動に至った。ゆえに、この騒動は民主化運動でもなければ、共産党政権の責任に起因するものでもない。土地をめぐる経済的格差に起源する騒動であって、「地主」が全責任を取らなければならないのである。「闘地主」が問題解決の出口となるわけだ。

● 地主から土地を取り上げよう!

 中国国内メディアは9月17日、香港の親中派最大政党、民主建港協進連盟(民建連)が香港政府に対して、公営住宅建設の加速を求め、「土地回収条例」の導入と活用を提言したと報道した。

 香港の大地主といえば、有名な4大富豪家族がいる――李兆基一族、郭得勝一族、鄭裕彤一族、そして李嘉誠一族。この4大家族(不動産大手4社)が合計940万平方メートル近くの土地(農地)を保有している。「土地回収条例」を発動すれば、この広大な農地を回収し、住宅用地にすることができるわけだ。

 早速9月25日、鄭氏傘下の香港新世界発展は28万平方メートルの農地を、公営住宅建設用に無償提供(寄贈)することを発表した。郭氏の新鴻基地産も「土地回収条例」に賛同し、協力する意向を表明した。

 「闘地主」が早速奏功した。ただ、「土地回収」というのだから、「没収」やら「闘争」やらそうした不穏な形だけは避けたい。地主の皆様のご理解と、ご協力が望ましく、土地の無償提供なら大いに歓迎されるべき申し出であろう。是非とも、建国記念式典に招請し、天安門の壇上に一席を用意するから、軍事パレードのご観覧でもゆっくりしていただきたいものだ。このような名誉ある待遇を辞退する李嘉誠氏はもしや、協力するつもりがないのか、それとも本当に高齢のために遠出の旅が無理だったのか、本人にしか分からないことだ。

 不平等を減らし、格差を解消するために、資産家の資産を没収し、再分配するのが社会主義・共産主義である。ただ、現下の世界では金融資産の流動性が高く、なかなか捕捉できない。であれば、土地という固定資産の非流動性に着目すれば、もっとも再分配の実効性が高い。その次にターゲットとなり得るのは企業所有形態・経済制度の多元化である。

 中国建国当初の産業再編史を見ても分かるように、土地改革に続いてやってきたのは企業の公私合営。「公私合営」とは、資本主義から社会主義への過渡的経済制度としてとられた国家資本主義の高級形態である。 これは個別企業の公私合営と全業種にわたる公私合営の2段階に分かれる。個別企業の公私合営は新中国成立直後、資本の国有化や、国家が私営企業に対して投資を行う等によって誕生した。この段階では国家が私営企業に幹部を派遣したり、また一部の企業の生産手段を占有したり、利益分配対象者の多元化などの現象が見られた。

 9月20日、浙江省杭州市は、電子商取引大手アリババ・グループや自動車メーカーの吉利ホールディングスなど同省内の重点民間企業100社に政府幹部を派遣し、常駐させる「政府事務代表」制度を発表した。9月23日付けのロイターは、「中国政府・共産党は、米中貿易戦争で国内経済が減速する中、民間企業への関与を強めており、国家の役割拡大に対する懸念が強まる可能性が高い」と背景を分析した。

 この政府幹部派遣制度は建国当初の公私合営、あるいはそれに近い形態へ移行するための布石・初期段階であるかどうか、さらにそれが本土にとどまらず香港にも浸透するかどうかは今後注目される。

 余談になるが、アリババといえば、創業者の馬雲(ジャック・マー)氏が9月10日に会長を退任したばかりだ。逃げるが勝ちという意味で、馬雲氏も李嘉誠氏も同じといえるかもしれない。

タグ: