【Wedge】カルフール中国撤退、時代の寵児はこうして墜落した

 中国撤退。フランスの大手スーパー、カルフールはついに踏み切った。同社は中国部門の株式80%を、家電量販大手の蘇寧易購集団に48億元(約750億円)で売却することに合意。もてはやされてきた13億人の巨大中国市場を背景に、我が世の春を謳歌してきた時代の寵児カルフールが墜落した航跡をたどってみたい。

● 不名誉な「仕入先搾取」

 「家楽福」(カルフールの中国名)は中国での知名度が高い。特に上海や北京などの都市部では知らない者はいないほど、カルフールは有名だ。

 深く記憶に残っている。私が駐在員として中国に赴任したのは1994年だったが、その翌年にカルフールが中国進出を果たした。当時の中国は豊かではなかった。たとえ上海や北京といった大都市でも、外国人駐在員にとって「モノ不足」の問題が大きかった。開店まもないカルフールの店内に踏み入れると、そこはもう天国に見えた。店内に所狭しと並べられたカラフルな商品に感動するのは外国人だけではない。中国人客もみんな目を皿にした。店舗は連日押すな押すなの大盛況だった。

 その後、中国は徐々に豊かになり、モノの供給や品揃えの状況も改善されると、いくぶん落ち付いたものの、カルフールの繁盛は一向に衰える気配を見せない。進出が早く、先発優位性を生かし、中国市場において斬新なビジネスモデルを示したところで業界のリーダー役を演じ続けた。ある意味で、中国のスーパー業界はカルフールによって作り上げられたといっても過言ではない。

 先発優位性として、カルフールはまず地の利を得、一等地への出店という先天的好条件を手に入れた。さらに、業界のリーダー役として、カルフールはルールづくりに乗り出す。そのルールとは業界で有名だが、いささか不名誉な、あの「仕入先搾取」である。

 カルフールの収入源は、主に3つからなる。まず1つ目は、「フロント粗利」と言われる販売商品の売値と仕入れ値の差額。次に2つ目は、テナントや販売ブースの賃貸料。そして最後に3つ目は、仕入先から徴収する「進場費(出店料)」や「上架費(陳列料)」、販売手数料、宣伝広告費、販売員管理費などといった雑多な費用、いわゆる「仕入先搾取」に当たる部分である。

 カルフールの絶大な集客力を目当てに仕入先は「出店させてください」と頭を下げお願いする立場にあるから、どんな費用でも払わざるを得ない。カルフールへ出店・出品するだけでも多大な名誉になり、ブランド力を誇示する販促費と思えば、やむなしといえる。一部の大手仕入先が抗議したり、ボイコットしたりして抵抗を試みたものの、いずれも抑えつけられ、「クーデター」は失敗に終わった。

 私も仕事があって上海のカルフール本部に入ったことがあるが、驚かされたのは「ネゴシエーション・ルーム」と名付けられた「交渉部屋」の存在だった。順番待ちのラウンジコーナーまで設けられた交渉部屋は広く、仕切られたブースでは仕入先との「交渉」が行われていた。普通の「会議室」よりも「交渉部屋」として強調するのはいかにも威圧的で、カルフール側のダントツな優位性を誇示するものとしか考えられない。

 このような力関係に便乗した従業員の犯罪もあった。北京カルフールの幹部従業員ら8人が2006年6月から2007年7月にかけて、仕入先の精肉業者から総額30万元余りを受け取っていた商業賄賂事件で、北京市朝陽区法院(地方裁判所)はそのうちの7人に有罪判決を出し、6人にそれぞれ懲役1~2年、最も罪状の重い主犯格の1人に同5年の実刑判決を言い渡した。

 2008年7月1日付の中国地方紙「京華時報」によると、8人は北京市内各店舗で精肉担当課長などを務めていたが、いずれも仕入れ業務に決裁権を持ち、仕入先の2社に賄賂を求め、懲役5年の判決を受けた「談判員」(交渉員)だった被告は、リベート分8万9000元と、便宜を図る見返りとしての「好処費」2万5000元を受け取っていたという。

● 衰退の道を歩み始める

 中国の小売業「大革命」の先導役として、カルフールの存在は大きかった。各地方政府から多くの「優遇政策」を受け、同社は次々と出店を果たし、肥大化の一途を辿った。当初からは賃金水準も高く、業界から優秀な人材を引き付け、成果主義の人事政策・制度に徹し、業績を伸ばした従業員をどんどん抜擢し、飛び級の昇格人事も日常茶飯事だった。

 2003年、カルフールのグローバル店長大会がパリのルーヴル宮殿で行われ、ゴルバチョフ氏がゲスト講演に招請されたほどの盛会だった。同社は繁栄を極める絶頂期を迎える。

 中国では、カルフールが後発のウォルマートを抑え、快走を続ける。2007年、カルフール中国は成長率と売上高・利益ともに過去最高を記録し、グループのスターとなる。絶頂期を迎えるカルフール中国は2008年をピークに、下り坂を歩み始める。1つ大きな変化は、従来与えられてきた各店舗の自主運営権が「中央集権制」の導入により取り上げられたことである。

 2008年という年は、中国にとってある意味で折り返し地点であった。高度経済成長からもたらされた格差や公害などの問題が顕在化・深刻化し、国は「労働契約法」をはじめ、一連の政策転向に踏み切った。外資企業も過去のような輝かしい存在ではなくなり、唯一無二の地位を失っていく。一方、中国系企業は猛烈な追い上げを見せ始め、市場ルールの制定権を掌握すべく外資勢に宣戦布告をする。

 カルフールは業績の悪化とともに、新規採用を打ち切り、自然退職による間接的リストラに着手した。店長をはじめとする幹部の権限や賃金は削減され、優秀な人材が流出し、各店舗では顧客の苦情も増え始めた。

 日系企業の場合、一般的に欧米系と違い、当初から一貫した中央集権的な管理がなされ、成果主義よりも年功賃金が主流である。しかし、カルフールは前述のように店舗分権や絶対的成果主義ベースの運営でやってきただけに、急激な転向により、大きな反動を生み出したわけだ。

 2009年、台湾系の大型スーパーである大潤発(RTマート)は121の店舗で総額400億元を売上げ、カルフールの156店舗の366億元を上回り、単店舗平均売上では、大潤発は3億3400万元でカルフールの2億3500元に大差をつけた。カルフールは、王座を失った。

 とは言っても、当時のカルフールはまだ十数億元の純益を出しているだけに、その時は事業売却のベスト・タイミングだった。しかし、強気の姿勢を崩せなかったカルフールは買い手との交渉で条件が折り合わず、不運にも時期を逸した。

 大潤発に抜かれた一件、大都市を本拠地とするカルフールはそもそも、ウォルマートやメトロといった多国籍大手の動静にいくらかの注意を払うにしても、地方都市のプレイヤーである大潤発などは当初から眼中にない、という姿勢だった。ローカルの情勢をいかに分析し、経営戦略に落とし込んでいくか。この辺、罠にはまりやすいのは何も日本企業だけではない。欧米勢も同じようなミスを犯してしまうのである。

● 敗因はeコマースの台頭か?

 判断ミスが続く。倉庫や物流といったサプライチェーンの構築に関して、2011年頃に中国側の経営幹部らが課題を提示したものの、パリ本社は「物流は金食い虫だ」と一蹴し、本社方針に固執し、検討の余地すら与えなかった。一方、その当時カルフール中国の主要競争相手は全員、自前の物流システムをもっていた。中国現地の状況をもう少し謙虚に分析していれば、異なる経営判断が下されたのかもしれない。

 「泣き面に蜂」となったのは、中国政府の行政管理方針の変更。政府はスーパー経営者のテナントや仕入先に対する「搾取的」な費用徴収の規制に乗り出し、カルフールの「第3の収入源」を取り上げた。これを機にカルフールは買い取り式にモデル・チェンジすれば、状況が変わっていたかもしれないが、同社はそうしなかった。

 フランス人駐在員の経営陣は、3年程度の任期で中国に派遣されてきていた。その3年間に予算達成の重責を担っており、大きな経営方針の変更にリスクが伴うだけに、決断をためらった。この辺は欧米系とはいえども、日本企業に酷似している。任期中の業績を過重に評価する余り、経営陣は作為よりも不作為を選ぶのも必然的帰結である。

 判断ミスがさらに続く。

 2013年、アリババや京東といったeコマース大手の台頭に伴い、中国は電子商取引時代の幕開けを迎える。ちょうどその年にカルフール中国は減収減益に陥る。両者の時期が重なったところで、その相関関係を根拠にカルフールの衰退を説明するには、確かに一理ある。ただ時間軸を辿ってそれまでの一連の出来事と合わせて文脈を組んでみると、本質的な部分が見えてくる。

 逆にいえば、eコマース各社の台頭と裏腹に、黒字経営を続ける、カルフールの同業者である中国系企業も存在している。この歴然たる事実をどう説明するか? 紙幅の制限から例示や分析を割愛するが、カルフールの中国撤退は決して、ネットショッピングの拡大という単一要因によるものではないと、強調しておきたい。

 次回は、日系流通・小売業の話題に移りたい。

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