格差なき社会はユートピアであるか?

 2010年6月10日付の朝日新聞が発表した民意調査の結果――。

 「豊かだが格差が大きい国」の希望者が17%、「豊かさはそれほどないが格差が小さい国」の希望者は73%。

 日本人の無格差志向は、経済や社会の成長を停滞させる原因の1つであるという指摘もあれば、「結果としての格差は、機会平等の証だ」たる意見もある。

 前者はともかく、まず後者の意見には私は賛同である。幸いにも私は政治家を志していない。選挙に立候補でもしたら、惨敗するのが目に見えている。民意に逆らうことのできない政治家は、常に民意に迎合する。では、国家全体の利益と民意とは常にベクトルが一致するのだろうか。頭数の大多数が常に正しいという仮説は成立するのかという問いだ。

 同年(2010年)6月18日付の「大前研一『ニュースの視点』」を抜粋引用する――。

 (以下引用)日本の将来のあり方としては、経済的豊かさよりも「格差が小さい国」を求める意見が70%を占めたとのことです。これは非常に悩ましい結果だと私は感じました。……「格差が小さい国」を目指すことが重要だというのは如何なものかと思います。「格差のない社会」を求めてしまうというのは、私には信じられない心境です。

 世界の先進国を見渡してみれば、(日本より)もっと大きな格差がある社会が普通です。上へと登っていきたいという気持ちを抱えている人が多く、実際に結構な割合の人が「お金持ち」になっています。格差が縮小し、全体としてロウアーミドルに収斂してしまう日本のような社会では「元気」がなくなってしまいます。果たしてそれで幸せなのかどうか、今一度考えてもらいたいと私は強く感じています。

 私も若い頃は、月々数千円の社宅に住み、銭湯に出かけるという生活をしていました。月末に残る現金は1000円くらいのものでした。経済的には決して豊かではありませんでしたが、とても楽しい生活でした。そこには、「将来は何かやってやろう」という強い夢があったからだと思います。

 これは会社経営についても当てはまることですし、家庭においても同様だと私は思います。やる気があるなら、どんどん上を目指せるようにするべきです。逆にやる気がないなら尻をたたく必要があります。今、日本では家庭でも企業でも国家でも同じことが問われているのだと感じます。(以上引用)

 「格差なき社会」は、そもそも、社会主義、共産主義が目指すユートピアだ。その結果、「等しく豊かな社会」ではなく、「等しく貧しい社会」になることは、中国や旧ソ連、東欧の社会主義諸国、そしていまの北朝鮮によって、すでに実証された。それにもかかわらず、なぜそのような指向が見られるのか。ある意味で大変危険である。

リンク:『格差こそ平等の証!「貧困の平等」と「富の平等」』

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