パチンコ台の前に座る人たちよ、工場生産ラインの前に座れ!

 マレーシアのアブドゥラ国王が6月6日、コロナ後の経済復興と再建について談話を発表し、こう語った――。「国民はこれから仕事を選ばないでほしい。何よりも今まで外国人労働者に依存してきた分野や業種の仕事を引き受けるように頑張らないといけない。これで我が国の外国人労働者に対する依存を減らしていこう」

 この1節は、そのまま日本に当てはまる。国家が少し発展すると、国民はみんな偉くなって、単純労働や肉体労働をやらなくなり、それらを外国人労働者に投げようとする。人間はなるべく楽にしたい。本能だ。よく理解できる。ただ問題はみんな単純労働や肉体労働をやめて、複雑労働や頭脳労働に適しているかだ。

 国民のなかには、単に楽になりたいだけで、単純労働をやめても、複雑労働に取り組もうとしない人たちがいる。この人たちは国籍という「身分」だけでのうのうと暮らし、権利を主張してきた。あれこれ理由を並べては自己正当化してきたけれど、もう国も社会もこのような国民層を容認する余裕がなくなってきたのである。

 単純労働とは、専門的な知識や技能を必要とせず、短期間の訓練で行う事が可能な単純な労働を指す。工場作業や荷役作業、建設作業、あるいば一部サービス提供作業などがこれに当たる。製造拠点を海外に移設しはじめたのも、国内の国民が平均してみんな単純労働をやらなくなったり、その分賃金相場が高騰したからだ。これがそもそもいわゆるグローバル経済の原点だった。安い賃金の国に製造業を移すと。

 しかし昨今、中国一極集中の致命的弊害が特にコロナ禍の一件で明らかになった。グローバル経済の終焉が現実的な課題になった以上、サプライチェーンの脱中国化、地域的多極化ないし産業の国内回帰が避けられない。こういう現状である。だから、引き揚げた工場を日本国内にも一部建設し、日本人労働者も単純労働や肉体労働をしなければならない。アブドゥラ国王のいう通り、「仕事を選ぶ余裕がもうない」。外国に持っていった仕事や、外国人にやってもらっている仕事を取り返し、国民がそれをやることだ。

 「外国人労働者に対する依存を減らす」というのは、製造業の海外進出を減らすことと国内での外国人単純労働者雇用を減らすことを意味する。移民政策は大いに結構だ。ただし、国家が必要としているのは、高度人材であって、単純労働者ではない。

 経営コストの向上は避けられない。その分何でも安く売ることができなくなる。そこから市場の分化、セグメンテーションが進む。「誰でも買える」というのは正義論でもなければ、美学でもない。身の丈に合う消費が求められる。収入の低い国民は諦めなくてはいけない消費がたくさん出てくる。覚悟すべきだろう。

 憲法上の生存維持要件は、「労働を選ぶ」「仕事を選ぶ」という前提設定が付随していない。生存するために、好きではない仕事も就かなければならない。働かざる者食うべからず。働かざる者が1人や2人でも餓死したら、一気にみんなが働き出すだろう。

 パチンコ台の前に座っている人たちよ、工場の生産ラインの前に座れ!

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