マニュアルはどこだ?前例なき危機対応できぬ日本人の本質

 台湾人作家欧陽靖氏が日本の新型コロナウイルス対応に、こう評した(2月20日付、三立新聞網)。

 「日本人は、SOP (Standard Operating Procedure=標準業務手順書)民族だ。彼らは臨機応変、突発事件の処理に弱い。地震対応に強いのも、完璧なSOPがあって、職人的に反復練習しているからだ。日本国がここまで強くなって進歩したのも、国民の一人ひとりがSOPを守っているからだ。国家全体が順調に機能する機械であり、国民はみんな歯車になって応分の役割を最大限に果たしているからだ」

 「18年前のSARSはその当時の日本は(中国人観光客に)開放しておらず、幸運にも大きな被害に遭わなかったが、今回の新型コロナウイルスは様子が違った。問題に気付いたにもかかわらず、日本人は議論して有効な解決策を打ち出せなかった。疫病との戦いは時間との戦いだが、日本人はその本質を見失った」

 「WHOへの盲信と盲従も問題。WHOの推奨に従って中国人観光客の入国を制限しなかったし、検疫官が防護服を装着せずダイヤモンド・プリンセス号に上船した。いずれもマニュアルや上司の指示に忠実に従った行動だったが、結果的にウイルスが拡散した」

 「でも、日本はこれで終了することはない。日本人は酷くやられて痛定思痛(痛みが収まってから痛みを思い出して今後の戒めにする)で、もっとも完全な疫病防止システムをもつ国になろう。同時に、このたびの災厄の実体験をもって、日本国民が目覚め、思考停止から脱出し、日本の腐りきった政治環境の徹底的改革に取り組むことを切に願いたい」

 真の友人だからこその直言諫言。災厄終結後まで視野を広げた欧陽氏のコメントだが、これを真摯に受け入れれば、いまでも間に合う。被害を最小限に抑えることができるだろう。しかし、残念ながら、日本人にはそれが無理で、とことん痛めつけられ、血だらけになるまで突進していくだろう。SOPたるマニュアルなき行動を日本人は取れないのである。

 予防的な措置をとって、仮に実害を回避し、予防的効果があったとしても、その効果は現場検証できない限り、国民的納得を引き出すことができない。逆に危機感の煽りだとか、予防措置の取りすぎだとか、酷い場合は人権侵害だとか数々の問題を提起し、予防措置の発案者を糾弾する。だから、洞察力や提案力をもつ賢者なら、すぐには提案をしない。あるいは含みを持たせるコメントにとどまる。沈黙を守り、事態の発展を静観する。災害が起き、被害が出た時点で沈痛な表情で総括し、予防マニュアルの作成に取り掛かる。これが日本の実態ではないだろうか。

 残念ながら、今の状況では、今回の被害は深甚なものになろう。

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